Garland F. Byers, Jr.の主教の印章。標語 Euntes in Mundum Universum が記されている

はじめにお読みください

主教*Garland F. Byers, Jr., J.D., D.D.‡

諸国民への主教、使徒的委任のもとに

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翻訳と権威についての覚え書き · 編集凡例


主教の番号付きの教理的声明を読もうとするなら、この祈りを祈り、第二部の拘束の部分を読んでそれに同意することを強く勧める。そうすれば、妨げられることも阻まれることもなく読むことができる。


第一部:拘束の祈り

この祈りは二部から成るものの第一部として意図されており、霊的な戦いの事柄を扱う使徒的文書を読むにあたって、ふさわしい霊的な心構えと霊的な守りとを読者に与えるためのものである。この拘束の祈りは、それに続く拘束の使徒的命令とともに読まれるよう意図されている。この祈りは、神ご自身がその拘束を実効あるものとしてくださるよう願い求め、その後、主教が使徒的な拘束の命令を発し、神がそれをイエス・キリストの御名によって執行してくださるよう願い求めるものである。1

全能にして2いと高き神よ、3天にまします私たちの父よ、4天と地の造り主よ、5私たちは6祈りをもって7、御名によって8あなたのみもとにまいります。それは、あなたのひとり子、9イエス、10神と人との間のただひとりの仲保者の御名です。11父よ、これらの文書はあなたの御言葉についての使徒的な教えであり、12あなたと御子イエス・キリストの栄光を現すためのものです。13私たちは知っています。敵は14、御言葉が蒔かれるとすぐにやって来て、15人々が信じて救われることのないように、それを心から奪い去るのです。16サタンはキリストの再臨までこの世の神であり、17人々の思いをくらませ、18耳を鈍くし、19混乱を引き起こし、20教えられたことを信者に忘れさせます。21

それゆえ父よ、私たちは次のこと22を、これらの使徒的文書を読むすべての人のために願い求めます。23

聖霊が彼らに力を与えて、24これらの教えを理解25と識別とをもって26読ませてくださり、彼らがキリストの心をもって読み、27肉的で堕落した思いによって読むことのないようにしてくださいますように。28

私たちの主イエス・キリストによって29、御子があなたの右に昇られたときに遣わされた30聖霊が、彼らに霊の目をもって読ませ、31すべてのことを彼らに思い起こさせてくださいますように。32

彼らの心が開かれて教えを受け入れ、33彼らがすべての真理に導かれ、34これらの教えを読むことによって、あなたが彼らをいっそうあなたのみもとへ引き寄せてくださり、35彼らがあなたの真理によって聖められますように。36

あなたが悪しき者を縛ってくださいますように。37それは偽りの父、38人類の敵であり、39あなたと私たちとを憎む者です。40私たちはあなたのかたちに造られた者です。41どうか彼を縛り、彼が理解を妨げることのないように、42真理を聞いたことに対して感情を否定的にかき立てることのないように、43彼らの耳を閉ざし心をかたくなにすることのないように、44またこれらの教えを彼らに忘れさせ、45そうして教えを彼らのうちで実を結ばないものとすることのないように46、私たちが今従事しているこの霊的な戦いにおいて彼を縛ってください。47

これらの教えを読む人々を祝福し、48彼らとその家とを祝福してください。49そして敵を縛り、敵が彼らに報復することのないようにしてください。50彼らはあなたの御顔を求めているからです。51私たちはイエスの血を彼らの上に祈り求め、52これらの教えの上に、また彼らの霊の家全体の上に祈り求めます。53主よ、あなたの力を解き放ち、54あなたの油注がれた者を守ってください。55

これらの教えが読む人々を整え、56あなたに受け入れられる義なる生活を送らせ、57彼らがますますキリストに似た者となり、58日を追うごとにそうなりますように。59

そして最後に父よ、霊的な拘束を実効あるものとしてくださいますように。60それは、あなたのしもべが今これらの文書の上に置くものです。61敵が敗走させられ、62敵が恐れおののきますように。63もし彼らがあなたの守りの藩屏を越えて侵すならば。64

父よ、私たちはあなたに感謝と賛美をささげます。65あなたはこの霊的な戦いにおいて、私たちを無防備のまま捨て置かれませんでした。66あなたは私たちにあなたの御言葉を与えてくださいました。それは御霊の剣であり、67どんな両刃の剣よりも鋭いものです。68あなたは、ひとり子である私たちの主イエス・キリストを与えてくださいました。それは私たちが永遠の命を持つためであり、69また私たちが敗北からではなく勝利の立場から戦うためです。70キリストは支配と権威とに打ち勝ち、これをさらしものにされました。71それらはこの世の神によって高い所に据えられたものです。72その血によって私たちは全き者とされ、73あなたと和解させられ、74勝利の冠と永遠の命とを与えられました。75あなたは私たちをすべての真理に導くために聖霊を遣わし、76また地上におけるキリストのからだである教会を私たちに与えてくださいました。77この教会について、キリストは言われました。「……黄泉の門はこれに勝たざるべし。」78

父よ、あなたが私たちの祈りを聞いてくださったことを感謝します。79そして私たちは、あなたが私たちを祝福し、私たちの祈りに答えてくださることを、信仰によって知っています。80

これらすべてのことを、御名によって81願い求めます。私たちの主であり救い主であるイエス・キリストの御名によって。82アーメン。83

注意:拘束の祈りは、それだけでは効果がない場合がある。祈りそのものが示しているとおり、サタンとその背教の軍勢は、神の言葉を読む者たちに時として襲いかかり、報復する。主教はこれをきわめて重大な事柄、可能な限り最大の守りを必要とする事柄とみなしている。それゆえ読者には、拘束の使徒的命令をもあわせて読み、祈りのうちにそれを読むことが勧められる。

読者は今、このウェブサイトに収められた使徒的文書を読むにあたって完全な守りを得るために、敬意と祈りをもって拘束の使徒的命令へと導かれる。


第二部:拘束の使徒的命令

拘束の使徒的命令は現在準備中であり、ここに掲載される予定である。それは、このウェブサイト上の使徒的文書を読む前に、拘束の祈りとともに読まれるべきものである。

最終改訂:2026年10月19日


注

1私にとって大きな謎であるのは、教会がほぼ二千年にわたり、サタンとその背教の軍勢がさまざまな方法で神の民から神の言葉を盗み、彼らを真理について無知なままにしておこうと図っていることを知ってきたということである。「われは道なり、眞理なり、生命なり、我に由らでは誰にても父の御許にいたる者なし。」ヨハネ伝福音書14:6(文語訳)。それにもかかわらず、教会の文書も、私の知る限りいかなるキリスト教著述家の文書も、拘束の祈りや、主教または使徒の職にある権威ある者による拘束の命令をもって始まってはいない。教会とキリストのからだの肢体とが今従事している、認められた霊的な戦いを考えれば、キリスト教信仰の事柄を扱うすべての文書にこのような拘束の祈りを含めることは、私には理にかなった賢明なことであると思われる。 ↩︎

2「……ヱホバ、アブラムに顯れて之に言たまひけるは我は全能の神なり汝我前に行みて完全かれよ」創世記17:1(文語訳)。「……日も夜も絶間なく言ふ、 『聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、 昔いまし、今いまし、のち來りたまふ 主たる全能の神』」ヨハネの黙示録4:8(文語訳)。 ↩︎

3「時にサレムの王メルキゼデク、パンと酒を携出せり彼は至高き神の祭司なりき 彼アブラムを祝して言けるは願くは天地の主なる至高神アブラムを祝福みたまへ」創世記14:18–19(文語訳)。「我はいとたかき神によばはん わがために百事をなしをへたまふ神によばはん」詩篇57:2(文語訳)。 ↩︎

4「この故に汝らは斯く祈れ。「天にいます我らの父よ、願はくは御名の崇められん事を。」マタイ伝福音書6:9(文語訳)。 ↩︎

5「元始に神天地を創造たまへり」創世記1:1(文語訳)。「……ヱホバはとこしへの神地のはての創造者にして倦たまふことなく また疲れたまふことなく……」イザヤ書40:28(文語訳)。「わがたすけは天地をつくりたまへるヱホバよりきたる」詩篇121:2(文語訳)。「主よ、汝は天と地と海と、其の中のあらゆる物とを造り給へり。」使徒行伝4:24(文語訳)。 ↩︎

6ここで「私たち」とは、著者である主教とともに読者をも指す。 ↩︎

7「この故に我らは憐憫を受けんが爲、また機に合ふ助となる惠を得んがために、憚らずして惠の御座に來るべし。」ヘブル人への書4:16(文語訳)。 ↩︎

8「……汝等のすべて父に求むる物をば、我が名によりて賜ふべし。」ヨハネ伝福音書16:23(文語訳)。「汝らが我が名によりて願ふことは、我みな之を爲さん、父、子によりて榮光を受け給はんためなり。」ヨハネ伝福音書14:13(文語訳)。 ↩︎

9「それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠の生命を得んためなり。」ヨハネ伝福音書3:16(文語訳)。「……父の懷裡にいます獨子の神のみ之を顯し給へり。」ヨハネ伝福音書1:18(文語訳)。「……神はその生み給へる獨子を世に遣し、我等をして彼によりて生命を得しめ給ふに因る。」ヨハネの第一の書4:9(文語訳)。 ↩︎

10「……汝その名をイエスと名づくべし。 己が民をその罪より救ひ給ふ故なり」マタイ伝福音書1:21(文語訳)。 ↩︎

11「それ神は唯一なり、また神と人との間の中保も唯一にして、人なるキリスト・イエス是なり。」テモテへの前の書2:5(文語訳)。「われは道なり、眞理なり、生命なり、我に由らでは誰にても父の御許にいたる者なし。」ヨハネ伝福音書14:6(文語訳)。「されどキリストは更に勝れる約束に基きて立てられし勝れる契約の中保となりたれば……」ヘブル人への書8:6(文語訳)。「神と人との間」という文言は、聖書が損なわれずに引用されるよう、ギリシア語原典から翻訳されたテモテへの前の書2:5(文語訳)に記されているとおりに保たれている。そのギリシア語はanthrōpos(Strong’s G444)であり、男性としての男を指すanēr(G435)とは区別され、性別にかかわりなく人間を指す。したがってこの節は女性も男性も等しく含む。キリストにあっては「男も女もなし、汝らは皆キリスト・イエスに在りて一體なり。」ガラテヤ人への書3:28(文語訳)だからである。 ↩︎

12「彼らは使徒たちの教を受け、交際をなし、パンを擘き、祈祷をなすことを只管つとむ。」使徒行伝2:42(文語訳)。「されば兄弟よ、堅く立ちて我らの言あるひは書に由りて教へられたる傳を守れ。」テサロニケ人への後の書2:15(文語訳)。「汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして、キリスト・イエス自らその隅の首石たり。」エペソ人への書2:20(文語訳)。「なんぢ御言を宣傳へよ、機を得るも機を得ざるも常に勵め、寛容と教誨とを盡して責め、戒め、勸めよ。」テモテへの後の書4:2(文語訳)。 ↩︎

13「もし語るならば、神の言をかたる者のごとく語り …… 是イエス・キリストによりて事々に神の崇められ給はん爲なり。榮光と權力とは世々限りなく彼に歸するなり、アァメン。」ペテロの前の書4:11(文語訳)。「父よ、時來れり、子が汝の榮光を顯さんために、汝の子の榮光を顯したまへ。」ヨハネ伝福音書17:1(文語訳)。「これ凡ての人の父を敬ふごとくに子を敬はん爲なり……」ヨハネ伝福音書5:23(文語訳)。「……何事をなすにも、凡て神の榮光を顯すやうにせよ。」コリント人への前の書10:31(文語訳)。 ↩︎

14「愼みて目を覺しをれ、汝らの仇なる惡魔、ほゆる獅子のごとく歴迴りて呑むべきものを尋ぬ。」ペテロの前の書5:8(文語訳)。 ↩︎

15「御言の播かれて路の傍らにありとは、かかる人をいふ、即ち聞くとき、直ちにサタン來りて、その播かれたる御言を奪ふなり。」マルコ伝福音書4:15(文語訳)。「……惡しき者きたりて、其の心に播かれたるものを奪ふ……」マタイ伝福音書13:19(文語訳)。 ↩︎

16「路の傍らなるは、聽きたるのち、惡魔きたり、信じて救はるる事のなからんために、御言をその心より奪ふ所の人なり。」ルカ伝福音書8:12(文語訳)。 ↩︎

17「……今この世の君は逐ひ出さるべし。」ヨハネ伝福音書12:31(文語訳)。「……空中の權を執る宰、すなはち不從順の子らの中に今なほ働く靈の宰……」エペソ人への書2:2(文語訳)。「この世の神は此等の不信者の心を暗まして……」コリント人への後の書4:4(文語訳)。「彼らを惑したる惡魔は、火と硫黄との池に投げ入れられたり。ここは獸も僞預言者もまた居る所にして、彼らは世々限りなく晝も夜も苦しめらるべし。」ヨハネの黙示録20:10(文語訳)。 ↩︎

18「この世の神は此等の不信者の心を暗まして、神の像なるキリストの榮光の福音の光を照さざらしめたり。」コリント人への後の書4:4(文語訳)。 ↩︎

19「唖にて耳聾なる靈よ、我なんぢに命ず、この子より出でよ、重ねて入るな」マルコ伝福音書9:25(文語訳)。「誰にても天國の言をききて悟らぬときは、惡しき者きたりて、其の心に播かれたるものを奪ふ。路の傍らに播かれしとは斯かる人なり。」マタイ伝福音書13:19(文語訳)。 ↩︎

20「それ神は亂の神にあらず、平和の神なり。」コリント人への前の書14:33(文語訳)。「かかる智慧は上より下るにあらず、地に屬し、情慾に屬し、惡鬼に屬するものなり。 妬と黨派心とある所には亂と各樣の惡しき業とあればなり。」ヤコブの書3:15–16(文語訳)。「されど我が恐るるは、蛇の惡巧によりてエバの惑されし如く、汝らの心害はれてキリストに對する眞心と貞操とを失はん事なり。」コリント人への後の書11:3(文語訳)。 ↩︎

21「この故に我ら聞きし所をいよいよ篤く愼むべし、恐らくは流れ過ぐる事あらん。」ヘブル人への書2:1(文語訳)。「されば汝らは此等のことを知り、既に受けたる眞理に堅うせられたれど、我つねに此等のことを思ひ出させんとするなり。」ペテロの後の書1:12(文語訳)。「御言の播かれて路の傍らにありとは、かかる人をいふ、即ち聞くとき、直ちにサタン來りて、その播かれたる御言を奪ふなり。」マルコ伝福音書4:15(文語訳)。 ↩︎

22「何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。」ピリピ人への書4:6(文語訳)。「求めよ、さらば與へられん。尋ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。」マタイ伝福音書7:7(文語訳)。 ↩︎

23「この故に我らこの事を聞きし日より、汝等のために絶えず祈りかつ求むるは、汝ら靈のもろもろの知慧と穎悟とをもて神の御意を具に知り……」コロサイ人への書1:9(文語訳)。「絶えず汝らのために感謝し、わが祈のうちに汝らを憶え、 我らの主イエス・キリストの神、榮光の父、なんぢらに智慧と默示との靈を與へて、神を知らしめ……」エペソ人への書1:16–17(文語訳)。 ↩︎

24「然れど聖靈なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力をうけん……」使徒行伝1:8(文語訳)。「父その榮光の富にしたがひて、御靈により力をもて汝らの内なる人を強くし……」エペソ人への書3:16(文語訳)。 ↩︎

25「汝わが言ふ所をおもへ、主なんぢに凡ての事に就きて悟を賜はん。」テモテへの後の書2:7(文語訳)。「ここに聖書を悟らしめんとて、彼らの心を開きて言ひ給ふ……」ルカ伝福音書24:45(文語訳)。 ↩︎

26「此處の人々はテサロニケに居る人よりも善良にして、心より御言をうけ、この事正しく然るか然らぬか、日々聖書をしらぶ。」使徒行伝17:11(文語訳)。「凡てのこと試みて善きものを守り……」テサロニケ人への前の書5:21(文語訳)。「堅き食物は智力を練習して善惡を辨ふる成人の用ふるものなり。」ヘブル人への書5:14(文語訳)。「我は祈る、汝らの愛、知識ともろもろの悟とによりて彌が上にも増し加はり、 善惡を辨へ知り、キリストの日に至るまで潔よくして躓くことなく……」ピリピ人への書1:9–10(文語訳)。 ↩︎

27「誰か主の心を知りて主を教ふる者あらんや。然れど我らはキリストの心を有てり。」コリント人への前の書2:16(文語訳)。「汝らキリスト・イエスの心を心とせよ。」ピリピ人への書2:5(文語訳)。 ↩︎

28「肉の念は死なり、靈の念は生命なり、平安なり。 肉の念は神に逆ふ、それは神の律法に服はず、否したがふこと能はず……」ロマ人への書8:6–7(文語訳)。「性來のままなる人は神の御靈のことを受けず、彼には愚なる者と見ゆればなり。また之を悟ること能はず、御靈のことは靈によりて辨ふべき者なるが故なり。」コリント人への前の書2:14(文語訳)。「……なんぢら今よりのち、異邦人のその心の虚無に任せて歩むが如く歩むな。 彼らは念暗くなりて、其の内なる無知により、心の頑固によりて神の生命に遠ざかり……」エペソ人への書4:17–18(文語訳)。「それ一人の人によりて罪は世に入り、また罪によりて死は世に入り……」ロマ人への書5:12(文語訳)。 ↩︎

29「されど、われ實を汝らに告ぐ、わが去るは汝らの益なり。我さらずば助主なんぢらに來らじ、我ゆかば之を汝らに遣さん。」ヨハネ伝福音書16:7(文語訳)。「父の許より我が遣さんとする助主、すなはち父より出づる眞理の御靈のきたらんとき、我につきて證せん。」ヨハネ伝福音書15:26(文語訳)。 ↩︎

30「イエスは神の右に擧げられ、約束の聖靈を父より受けて、汝らの見聞する此のものを注ぎ給ひしなり。」使徒行伝2:33(文語訳)。「語り終へてのち、主イエスは天に擧げられ、神の右に坐し給ふ。」マルコ伝福音書16:19(文語訳)。 ↩︎

31「汝らの心の眼を明かにし、神の召にかかはる望と……」エペソ人への書1:18(文語訳)。「なんぢわが眼をひらき なんぢの法のうちなる奇しきことを我にみせたまへ」詩篇119:18(文語訳)。「ヱリシヤ祈りて願くはヱホバかれの目を開きて見させたまへ……」列王紀略下6:17(文語訳)。 ↩︎

32「助主すなはちわが名によりて父の遣したまふ聖靈は、汝らに萬の事ををしへ、又すべて我が汝らに言ひしことを思ひ出さしむべし。」ヨハネ伝福音書14:26(文語訳)。 ↩︎

33「……ルデヤと云ふ女きき居りしが、主その心をひらき、謹みてパウロの語る言をきかしめ給ふ。」使徒行伝16:14(文語訳)。「汝の心を教に用ゐ 汝の耳を知識の言に傾けよ」箴言23:12(文語訳)。「……柔和をもて其の植ゑられたる所の靈魂を救ひ得る言を受けよ。」ヤコブの書1:21(文語訳)。 ↩︎

34「されど彼すなはち眞理の御靈きたらん時、なんぢらを導きて眞理をことごとく悟らしめん……」ヨハネ伝福音書16:13(文語訳)。 ↩︎

35「我を遣しし父ひき給はずば、誰も我に來ること能はず……」ヨハネ伝福音書6:44(文語訳)。「……我窮なき愛をもて汝を愛せり故にわれたえず汝をめぐむなり」エレミヤ記31:3(文語訳)。「神に近づけ、さらば神なんぢらに近づき給はん……」ヤコブの書4:8(文語訳)。「なんぢら其先祖等の日よりこのかたわが律例をはなれてこれを守らざりき 我にかへれ われ亦なんぢらに歸らん 萬軍のヱホバこれを言ふ……」マラキ書3:7(文語訳)。「萬軍のヱホバかく言ふと汝かれらに告よ萬軍のヱホバ言ふ汝ら我に歸れ萬軍のヱホバいふ我も汝らに歸らん」ゼカリヤ書1:3(文語訳)。 ↩︎

36「眞理にて彼らを潔め別ちたまへ、汝の御言は眞理なり。」ヨハネ伝福音書17:17(文語訳)。「……神は御靈によれる潔と眞理に對する信仰とをもて、始より汝らを救に選び……」テサロニケ人への後の書2:13(文語訳)。 ↩︎

37「わが願ふは、彼らを世より取り給はんことならず、惡より免れさらせ給はんことなり。」ヨハネ伝福音書17:15(文語訳)。「我また一人の御使の底なき所の鍵と大なる鎖とを手に持ちて、天より降るを見たり。 彼は龍、すなわち惡魔たりサタンたる古き蛇を捕へて、之を千年のあひだ繋ぎおき……」ヨハネの黙示録20:1–2(文語訳)。「人まづ強き者を縛らずば、いかで強き者の家に入りて、その家財を奪ふことを得ん……」マタイ伝福音書12:29(文語訳)。「されど神は眞實なれば、汝らを堅うし汝らを護りて、惡しき者より救ひ給はん。」テサロニケ人への後の書3:3(文語訳)。 ↩︎

38「汝らは己が父惡魔より出でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初より人殺なり、また眞その中になき故に眞に立たず、彼は虚僞をかたる毎に己より語る、それは虚僞者にして虚僞の父なればなり。」ヨハネ伝福音書8:44(文語訳)。 ↩︎

39「之を播きし仇は惡魔なり……」マタイ伝福音書13:39(文語訳)。「……汝らの仇なる惡魔、ほゆる獅子のごとく歴迴りて呑むべきものを尋ぬ。」ペテロの前の書5:8(文語訳)。「視よ、われ汝らに蛇・蠍を踏み、仇の凡ての力を抑ふる權威を授けたれば……」ルカ伝福音書10:19(文語訳)。 ↩︎

40「……地と海とは禍害なるかな、惡魔おのが時の暫時なるを知り、大なる憤恚をいだきて汝等のもとに下りたればなり」ヨハネの黙示録12:12(文語訳)。「龍は女を怒りてその裔の殘れるもの、即ち神の誡命を守りイエスの證を有てる者に、戰鬪を挑まんとて出でゆき……」ヨハネの黙示録12:17(文語訳)。「彼は最初より人殺なり……」ヨハネ伝福音書8:44(文語訳)。 ↩︎

41「神其像の如くに人を創造たまへり即ち神の像の如くに之を造り之を男と女に創造たまへり」創世記1:27(文語訳)。「For God created man to be immortal, and made him to be an image of his own eternity. Nevertheless through envy of the devil came death into the world……」ソロモンの知恵2:23–24(KJV。この書は文語訳聖書に含まれていない)。 ↩︎

42「誰にても天國の言をききて悟らぬときは、惡しき者きたりて、其の心に播かれたるものを奪ふ。路の傍らに播かれしとは斯かる人なり。」マタイ伝福音書13:19(文語訳)。「この世の神は此等の不信者の心を暗まして……」コリント人への後の書4:4(文語訳)。 ↩︎

43「汝ら怒るとも罪を犯すな、憤恚を日の入るまで續くな。 惡魔に機會を得さすな。」エペソ人への書4:26–27(文語訳)。「人々これらの言を聞きて、心いかりに滿ち切齒しつつステパノに向ふ。」(ステパノの説教に対する応答として)使徒行伝7:54(文語訳)。「然るに我なんぢらに眞を言ふによりて仇となりたるか。」ガラテヤ人への書4:16(文語訳)。「……おのおの聽くことを速かにし、語ることを遲くし、怒ることを遲くせよ。 人の怒は神の義を行はざればなり。」ヤコブの書1:19–20(文語訳)。 ↩︎

44「この民の心は鈍く、 耳は聞くに懶く、 目は閉ぢたればなり……」マタイ伝福音書13:15(文語訳)。「汝等のうち誰も罪の誘惑によりて頑固にならぬやう、今日と稱ふる間に日々互に相勸めよ。」ヘブル人への書3:13(文語訳)。「項強くして心と耳とに割禮なき者よ、汝らは常に聖靈に逆ふ……」使徒行伝7:51(文語訳)。 ↩︎

45「……即ち聞くとき、直ちにサタン來りて、その播かれたる御言を奪ふなり。」マルコ伝福音書4:15(文語訳)。「……業を行ふ者にして、聞きて忘るる者にあらず、その行爲によりて幸福ならん。」ヤコブの書1:25(文語訳)。「……恐らくは流れ過ぐる事あらん。」ヘブル人への書2:1(文語訳)。 ↩︎

46「茨の中に播かれしとは、御言をきけども、世の心勞と財貨の惑とに、御言を塞がれて實らぬものなり。」マタイ伝福音書13:22(文語訳)。「かく汝らの傳へたる言傳によりて、神の言を空しうし……」マルコ伝福音書7:13(文語訳)。 ↩︎

47「我らは血肉と戰ふにあらず、政治・權威、この世の暗黒を掌どるもの、天の處にある惡の靈と戰ふなり。」エペソ人への書6:12(文語訳)。「我らは肉にありて歩めども、肉に從ひて戰はず。 それ我らの戰爭の武器は肉に屬するにあらず、神の前には城砦を破るほどの能力あり、我等はもろもろの論説を破り …… 凡ての念を虜にしてキリストに服はしむ。」コリント人への後の書10:3–5(文語訳)。「また救の冑および御靈の劍、すなはち神の言を執れ。」エペソ人への書6:17(文語訳)。 ↩︎

48「此の預言の言を讀む者と之を聽きて其の中に録されたることを守る者どもとは幸福なり……」ヨハネの黙示録1:3(文語訳)。民数記6:24–26(この箇所の文語訳の本文は入手できなかったため、ここには引用しない)。 ↩︎

49「願くは僕の家を祝福て汝のまへに永く続くことを得さしめたまへ……」サムエル後書7:29(文語訳)(自分の霊の家の上に祝福を祈り求めるダビデ。この祈りの直接の模範である)。「主イエスを信ぜよ、然らば汝も汝の家族も救はれん」使徒行伝16:31(文語訳)。 ↩︎

50「汝彼とその家およびその一切の所有物の周圍に藩屏を設けたまふにあらずや……」ヨブ記1:10(文語訳)(記録されたサタン自身の言葉であり、神の守りが義人とその家の周りの藩屏として働くことを証ししている[このことはヨブ記を詳しく調べることによって確かめられるが、ここでの引用の範囲を超える]。私は、ともに奉仕してきたキリスト者の信徒たちと関わる中で、これを「藩屏を祈る」と呼んできた。)。「シモン、シモン、視よ、サタン汝らを麥のごとく篩はんとて請ひ得たり。 されど我なんぢの爲に、その信仰の失せぬやうに祈りたり……」ルカ伝福音書22:31–32(文語訳)。「……御言のために患難また迫害にあふ時は、直ちに躓くなり。」マルコ伝福音書4:17(文語訳)(この節は、御言葉が受け入れられたゆえに、サタンとその背教の軍勢が神の言葉を聞く者や読む者に報復することがありうること、また時に実際にそうすることを示している。この祈りは、この教えにおいて神がこれを許されないよう願い求めるものである)。「災害なんぢにいたらず苦難なんぢの幕屋に近づかじ」詩篇91:10(文語訳)(……祈りのうちに求められ、神に聞かれ、答えられた藩屏のゆえに)。 ↩︎

51「なんぢらわが面をたづねもとめよと(斯る聖言のありしとき)わが心なんぢにむかひてヱホバよ我なんぢの聖顔をたづねんといへり」詩篇27:8(文語訳)(御顔を求めよという、私たちに対する神の直接の命令であり、ここでそれが受け止められている)。「我名をもて稱らるる我民もし自ら卑くし祈りてわが面を求めその惡き道を離れなば我天より聽て……」歴代志略下7:14(文語訳)。 ↩︎

52「その血なんぢらが居るところの家にありて汝等のために記號とならん我血を見る時なんぢらを逾越すべし又わがエジプトの國を撃つ時災なんぢらに降りて滅ぼすことなかるべし……」出エジプト記12:13(文語訳)。「……夫われらの過越の羔羊すなはちキリスト既に屠られ給へり……」コリント人への前の書5:7(文語訳)。「而して兄弟たちは羔羊の血と己が證の言とによりて勝ち……」ヨハネの黙示録12:11(文語訳)。「……御靈の潔により柔順ならんため、イエス・キリストの血の灑を受けんために……」ペテロの前の書1:2(文語訳)。 ↩︎

53「なんぢら彼にきたり、活ける石のごとく建てられて靈の家となれ。これ潔き祭司となり、イエス・キリストに由りて神に喜ばるる靈の犧牲を献げん爲なり。」ペテロの前の書2:5(文語訳)。「また同じく幕屋と祭のすべての器とに血をそそげり。 おほよそ律法によれば、萬のもの血をもて潔めらる……」ヘブル人への書9:21–22(文語訳)(ここでは、奉仕に用いられる物に血が注がれている。そしてもちろん、御言葉を教えることは主要な道具である)。 ↩︎

54「ねがはくは神おきたまへ その仇はことごとくちり 神をにくむものは前よりにげさらんことを」詩篇68:1(文語訳)。「さめよ醒よヱホバの臂よちからを着よ さめて古への時むかしの代にありし如くなれ……」イザヤ書51:9(文語訳)。「ヱホバよ能力をあらはしてみづからを高くしたまへ 我儕はなんぢの稜威をうたひ且ほめたたへん」詩篇21:13(文語訳)。「神の大能の勢威の活動によりて信ずる我らに對する能力の極めて大なるとを知らしめ給はんことを願ふ。」エペソ人への書1:19(文語訳)。 ↩︎

55「われらの盾なる神よ みそなはして なんぢの受膏者の顔をかへりみたまへ」詩篇84:9(文語訳)。「宣給くわが受膏者たちにふるるなかれ わが預言者たちをそこなふなかれ」詩篇105:15(文語訳)。「ヱホバはその民のちからなり その受膏者のすくひの城なり」詩篇28:8(文語訳)。「汝らは聖なる者より油を注がれたれば、凡ての事を知る。」ヨハネの第一の書2:20(文語訳)(すべての信者は油注がれている)。 ↩︎

56「聖書はみな神の感動によるものにして、教誨と譴責と矯正と義を薫陶するとに益あり。 これ神の人の全くなりて諸般の善き業に備を全うせん爲なり。」テモテへの後の書3:16–17(文語訳)。「彼は或人を使徒とし、或人を預言者とし、或人を傳道者とし、或人を牧師・教師として與へ給へり。 これ聖徒を全うして職を行はせ、キリストの體を建て……」エペソ人への書4:11–12(文語訳)。「その悦びたまふ所を、イエス・キリストに由りて我らの衷に行ひ、御意を行はしめん爲に凡ての善き事につきて、汝らを全うし給はんことを……」ヘブル人への書13:21(文語訳)。 ↩︎

57「是われら敬虔と謹嚴とを盡して、安らかに靜に一生を過さん爲なり。 斯くするは美事にして、我らの救主なる神の御意に適ふことなり。」テモテへの前の書2:2–3(文語訳)。「されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勸む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として献げよ、これ靈の祭なり。 又この世に效ふな、神の御意の善にして悦ぶべく、かつ全きことを辨へ知らんために、心を更へて新にせよ。」ロマ人への書12:1–2(文語訳)。「不敬虔と世の慾とを棄てて謹愼と正義と敬虔とをもて此の世を過し……」テトスへの書2:12(文語訳)。 ↩︎

58「我等はみな面帕なくして、鏡に映るごとく主の榮光を見、榮光より榮光にすすみ、主たる御靈によりて主と同じ像に化するなり。」コリント人への後の書3:18(文語訳)。「ただ愛をもて眞を保ち、育ちて凡てのこと首なるキリストに達せん爲なり。」エペソ人への書4:15(文語訳)。「ますます我らの主なる救主イエス・キリストの恩寵と主を知る知識とに進め……」ペテロの後の書3:18(文語訳)。「義者の途は旭光のごとし いよいよ光輝をまして晝の正午にいたる」箴言4:18(文語訳)。 ↩︎

59「……我らが外なる人は壞るれども、内なる人は日々に新なり。」コリント人への後の書4:16(文語訳)。 ↩︎

60「われわが僕のことばを遂しめ わが使者のはかりごとを成しめ……」イザヤ書44:26(文語訳)(そのしもべが語る言葉を神が確かにし、成し遂げてくださるよう願い求めて)。「まことに汝らに告ぐ、すべて汝らが地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ …… また誠に汝らに告ぐ、もし汝等のうち二人、何にても求むる事につき地にて心を一つにせば、天にいます我が父は之を成し給ふべし。」マタイ伝福音書18:18–19(文語訳)。「弟子たち出でて、あまねく福音を宣傳へ、主も亦ともに働き、伴ふところの徴をもて、御言を確うし給へり〕」マルコ伝福音書16:20(文語訳)。 ↩︎

61「キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別たれたるパウロ――」ロマ人への書1:1(文語訳)。「我らは己の事を宣べず、ただキリスト・イエスの主たる事と、我らがイエスのために汝らの僕たる事とを宣ぶ。」コリント人への後の書4:5(文語訳)。「われ天國の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ……」マタイ伝福音書16:19(文語訳)。 ↩︎

62「この故に汝ら神に服へ、惡魔に立ち向へ、さらば彼なんぢらを逃げ去らん。」ヤコブの書4:7(文語訳)。「汝らの五人は百人を逐ひ汝らの百人は萬人を逐ふあらん汝らの敵は皆汝らの前に劍に殞れん」レビ記26:8(文語訳)。「汝の敵起て汝を攻るあればヱホバ汝をして之を打敗らしめたまふべし彼らは一條の路より攻きたり汝の前にて七條の路より逃はしらん」申命記28:7(文語訳)。「ねがはくは神おきたまへ その仇はことごとくちり 神をにくむものは前よりにげさらんことを」詩篇68:1(文語訳)。 ↩︎

63「なんぢ神は唯一なりと信ずるか、かく信ずるは善し、惡鬼も亦信じて慄けり。」ヤコブの書2:19(文語訳)。「畏懼と戰慄かれらに及ぶ汝の腕の大なるがために彼らは石のごとくに默然たり……」出エジプト記15:16(文語訳)。「……未だ時いたらぬに、我らを責めんとて此處にきたり給ふか」マタイ伝福音書8:29(文語訳)(これは敵のうちにある主への恐れの一例であり、キリストにある信徒たちもまたその力を信じるようになるために記録されている)。 ↩︎

64「汝彼とその家およびその一切の所有物の周圍に藩屏を設けたまふにあらずや……」ヨブ記1:10(文語訳)(サタンが神に語りかけ、神が彼を妨げて、何らかの形でヨブに関わるものに一切触れさせなかったこと、それはあたかも守りの、聖なる火の藩屏がヨブと彼に関わるすべてのものの周りに置かれたかのようであったことを認めている)(「藩屏」は、サタン自身が神の守りを言い表すのに用いたと聖書が記録している、まさにその語である)。「ヱホバ言たまふ我その四周にて火の垣となりその中にて榮光とならん」ゼカリヤ書2:5(文語訳)。「ヱホバの使者はヱホバをおそるる者のまはりに營をつらねてこれを援く」詩篇34:7(文語訳)。「そは至上者なんぢのためにその使者輩におほせて 汝があゆむもろもろの道になんぢを守らせ給へばなり」詩篇91:11(文語訳)。 ↩︎

65「感謝しつつその門にいり ほめたたへつつその大庭にいれ 感謝してその名をほめたたへよ」詩篇100:4(文語訳)。「何事をも思ひ煩ふな、ただ事ごとに祈をなし、願をなし、感謝して汝らの求を神に告げよ。」ピリピ人への書4:6(文語訳)。 ↩︎

66「我なんぢらを遣して孤兒とはせず、汝らに來るなり。」ヨハネ伝福音書14:18(文語訳)。「惡魔の術に向ひて立ち得んために、神の武具をもて鎧ふべし。」エペソ人への書6:11(文語訳)。「それ我らの戰爭の武器は肉に屬するにあらず、神の前には城砦を破るほどの能力あり……」コリント人への後の書10:4(文語訳)。 ↩︎

67「また救の冑および御靈の劍、すなはち神の言を執れ。」エペソ人への書6:17(文語訳)。 ↩︎

68「神の言は生命あり、能力あり、兩刃の劍よりも利くして、精神と靈魂、關節と骨髓を透して之を割ち、心の念と志望とを驗すなり。」ヘブル人への書4:12(文語訳)。 ↩︎

69「己の御子を惜まずして我ら衆のために付し給ひし者は、などか之にそへて萬物を我らに賜はざらんや。」ロマ人への書8:32(文語訳)。「それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠の生命を得んためなり。」ヨハネ伝福音書3:16(文語訳)。 ↩︎

70「されど感謝すべきかな、神は我らの主イエス・キリストによりて勝を與へたまふ。」コリント人への前の書15:57(文語訳)。「されど凡てこれらの事の中にありても、我らを愛したまふ者に頼り、勝ち得て餘あり。」ロマ人への書8:37(文語訳)。「おほよそ神より生るる者は世に勝つ、世に勝つ勝利は我らの信仰なり。」ヨハネの第一の書5:4(文語訳)。 ↩︎

71「政治と權威とを褫ぎて之を公然に示し、十字架によりて凱旋し給へり。」コロサイ人への書2:15(文語訳)。 ↩︎

72「我らは血肉と戰ふにあらず、政治・權威、この世の暗黒を掌どるもの、天の處にある惡の靈と戰ふなり。」エペソ人への書6:12(文語訳)。「この世の神は此等の不信者の心を暗まして……」コリント人への後の書4:4(文語訳)。 ↩︎

73「彼はわれらの愆のために傷けられ われらの不義のために碎かれ みづから懲罰をうけてわれらに平安をあたふ そのうたれし痍によりてわれらは癒されたり」イザヤ書53:5(文語訳)。「我らは彼にありて恩惠の富に隨ひ、その血に頼りて贖罪、すなはち罪の赦を得たり。」エペソ人への書1:7(文語訳)。 ↩︎

74「我等もし敵たりしとき御子の死に頼りて神と和ぐことを得たらんには、まして和ぎて後その生命によりて救はれざらんや。」ロマ人への書5:10(文語訳)。「その十字架の血によりて平和をなし、或は地にあるもの、或は天にあるもの、萬の物をして己と和がしむるを善しとし給ひたればなり……」コロサイ人への書1:20(文語訳)。 ↩︎

75「試錬に耐ふる者は幸福なり、之を善しとせらるる時は、主のおのれを愛する者に、約束し給ひし生命の冠冕を受くべければなり。」ヤコブの書1:12(文語訳)。「……なんぢ死に至るまで忠實なれ、然らば我なんぢに生命の冠冕を與へん。」ヨハネの黙示録2:10(文語訳)。 ↩︎

76「されど彼すなはち眞理の御靈きたらん時、なんぢらを導きて眞理をことごとく悟らしめん……」ヨハネ伝福音書16:13(文語訳)。 ↩︎

77「乃ち汝らはキリストの體にして各自その肢なり。」コリント人への前の書12:27(文語訳)。「萬の物をその足の下に服はせ、彼を萬の物の上に首として教會に與へ給へり。 この教會は彼の體にして、萬の物をもて萬の物に滿し給ふ者の滿つる所なり。」エペソ人への書1:22–23(文語訳)。 ↩︎

78「我はまた汝に告ぐ、汝はペテロなり、我この磐の上に我が教會を建てん、黄泉の門はこれに勝たざるべし。」マタイ伝福音書16:18(文語訳)。 ↩︎

79「父よ、我にきき給ひしを謝す。」ヨハネ伝福音書11:41(文語訳)(ラザロがよみがえらされる前に感謝をささげるキリスト)。「我らが神に向ひて確信する所は是なり、即ち御意にかなふ事を求めば、必ず聽き給ふ。 かく求むるところ、何事にても聽き給ふと知れば、求めし願を得たる事をも知るなり。」ヨハネの第一の書5:14–15(文語訳)。 ↩︎

80「この故に汝らに告ぐ、凡て祈りて願ふ事は、すでに得たりと信ぜよ、さらば得べし。」マルコ伝福音書11:24(文語訳)。「信仰なくしては神に悦ばるること能はず、そは神に來る者は、神の在すことと神の己を求むる者に報い給ふこととを、必ず信ずべければなり。」ヘブル人への書11:6(文語訳)。 ↩︎

81「……汝等のすべて父に求むる物をば、我が名によりて賜ふべし。 なんぢら今までは何をも我が名によりて求めたることなし。求めよ、然らば受けん、而して汝らの喜悦みたさるべし。」ヨハネ伝福音書16:23–24(文語訳)。「また爲す所の凡ての事、あるひは言あるひは行爲、みな主イエスの名に頼りて爲し、彼によりて父なる神に感謝せよ。」コロサイ人への書3:17(文語訳)。 ↩︎

82「ますます我らの主なる救主イエス・キリストの恩寵と主を知る知識とに進め。願はくは今および永遠の日までも榮光かれに在らんことを。」ペテロの後の書3:18(文語訳)。 ↩︎

83「神の約束は多くありとも、然りと言ふことは彼によりて成りたれば、彼によりてアァメンあり、我ら神に榮光を歸するに至る。」コリント人への後の書1:20(文語訳)。 ↩︎

本ページの日本語の聖句は、すべて文語訳聖書(旧約:明治元訳、1887年/新約:大正改訳、1917年、日本聖書協会)から引用しています。いずれもパブリックドメインです。本文:ウィキソース。聖句は抜粋して引用しており、省略箇所は「……」で示しています。