Garland F. Byers, Jr.の主教の印章。標語 Euntes in Mundum Universum が記されている

個人的委任

主教Garland F. Byers, Jr., J.D., D.D.

諸国民への主教、使徒的委任のもとに

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翻訳と権威についての覚え書き · 編集凡例


ピリポ・カイザリヤ(バニアス)、1898年から1914年の間に撮影された写真
ピリポ・カイザリヤ。ここでペテロはイエスをキリストと告白し、ここで私たちの主は弟子たちに天国の鍵を与えられた。またここで主は初めて、弟子たちに、おのれの十字架を負って御自身に従うよう呼びかけられた。マタイ伝福音書16:13–24(文語訳)。写真:American Colony Photo Department、1898年から1914年の間。Library of Congress(米国議会図書館)、G. Eric and Edith Matson Photograph Collection(パブリックドメイン)。
「……人もし我に從ひ來らんと思はば、己をすて、日々おのが十字架を負ひて我に從へ。」ルカ伝福音書9:23(文語訳)

教会や個々の主教、また世俗の団体が、世俗の世界で「ミッション・ステートメント」と呼ばれるものを掲げることは、広く行われている。私はこの慣行を、有益であり、また助けになるものと考える。しかし、聖職の場においては、それは「個人的委任声明」と呼ぶほうがふさわしいと私は考える。福音を広めることと天国の働きとは、世俗の世界における営利事業とも、さらには非営利の事業とも、大きく異なる。私たちは便宜のために教会に世俗の慣行のいくつかを取り入れているが、あるものは聖別されるべきであり、それゆえに聖なるものであるべきである。

ここに、私たちの主イエス・キリストに仕えることにおいて、私自身の召命と私が見ているところを述べる。

これに取りかかる前に、私ははっきりと、大胆に、そして弁解することなく言明する。私は、天におられる父なる神の独り子イエス・キリストを信じ、1また、イエス・キリストが神の右に昇られたときに私たちに遣わされた聖霊を信じる。2私はイエスのものである。イエスは私の生涯の主である。イエスは私の主人であり、私はただイエスにのみ仕える。3私はサタンとそのすべての業とを退け、4至高の神に、その御子、私たちの主イエス・キリストを通して、栄光と誉れと賛美とをささげる。5

個人的委任
声明

離散して6十の国7のうちにある教会、すなわちキリストのからだへ:

1.私は使徒継承のうちにある主教であり、按手によって8聖別された。その系譜は文書によって裏づけられ、途切れることなく、主教から主教へと、9最初の十二使徒のうちの四人、使徒パウロ、および私たちの主であり救い主であるイエス・キリストが御自ら遣わされた七十人の使徒のうちの五人にまでさかのぼる。10そのすべての系譜は、このウェブサイト上に公に示され、だれでも調べることができる。

2.イエス・キリストの教会において主教の職にあることに加えて、11私は、イエスが聖書の中で語られた天国の学者として召され、油を注がれている。12私には、教会を牧することや、ほかの聖職の働きに携わることではなく、キリスト者の信徒のために教理を書き記すという特別な召命がある。それらの油注ぎは、ほかの人々が受けているものである。13

3.主教の職を果たすにあたり、私は鍵の職務を行使する。それは、私たちの主が御自身の使徒たちとその後継者たちとにお与えになった職務である。14

4.私は、私たちの主であり救い主であるイエス・キリストが伝えられた真の教理を教える。15その教理は、時代を通じて、誤訳され、薄められ、曲げられ、16聖職売買の対象とされ、17また武器とされて、殺し、盗み、滅ぼすことの正当化に用いられてきた。18

5.私は誤った教理を、それがどこに見いだされようとも、時を得ても時を得なくても正し、19ただ王の王であるイエス・キリストにのみ忠誠を尽くす。20

6.私は偽預言者、偽使徒、偽教師を見分け、21彼らの誤った教えに立ち向かい、彼らが信仰において健全になるよう、彼らを厳しく責める。22

7.主教として、また天国の学者として、私は神の言葉を用いて敵の要塞を打ち倒す。23その要塞のあるものは光の天使の業を装い、24多くの人を惑わしている。25

8.私は、私たちの主イエスの明確な命令が意図するとおりに、神の言葉をすべての国民に広める。26

9.私はいかなる教派にも仕えず、いかなる教派をも擁護しない。私は初めに与えられた教えをもって、イエス・キリストの唯一の教会に仕え、27その御言葉に合致する教えと伝統とを受け入れ、28人の造った教理を悪霊の教えとして退ける。29

10.私は、キリストのからだのうちにおけるキリスト者の一致を呼びかけ、そのために働く。30それは、私たちが、来たるべき恐るべき患難、31すなわち十の国の時代32と反キリストの支配のときに臨む患難に耐えることができるためである。33

11.私は新しい福音をあなたがたに宣べ伝えることはしない。パウロの次の言葉を、余すところなく心に留めているからである。「されど我等にもせよ、天よりの御使にもせよ、我らの曾て宣傳へたる所に背きたる福音を汝らに宣傳ふる者あらば詛はるべし。 われら前に言ひし如く今また言はん、汝らの受けし所に背きたる福音を宣傳ふる者あらば詛はるべし。」34

12.私は、キリストへの奉仕のために聖別された主教として、諸国民に語る。35私は教派の境界にとらわれない。そのような境界はキリストの時代には存在せず、36教会の秩序ある運営のために作られたものだからである。37私は主教の職にあり、いかなる教派にも属していないので、キリストの本来の委任、すなわち諸国民に福音を宣べ伝えることに立ち返る。38それは、すべての人が真理を知るに至り、真理が彼らを自由にするためである。39


注

聖書は文語訳から引用する。キリストの言葉は、その引用符とともに赤で示す。ANF = 『Ante-Nicene Fathers』(ニカイア以前の教父著作集);NPNF2 = 『Nicene and Post-Nicene Fathers, Second Series』(ニカイアおよびニカイア以後の教父著作集、第二集);Easton = B. S. Easton, 『The Apostolic Tradition of Hippolytus』(1934年)。

1ヨハネ伝福音書3:16(文語訳)「それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、すべて彼を信ずる者の亡びずして、永遠の生命を得んためなり。」ヨハネ伝福音書1:14(文語訳)「言は肉體となりて我らの中に宿りたまへり、我らその榮光を見たり、實に父の獨子の榮光にして、恩惠と眞理とにて滿てり。」ヨハネ伝福音書1:18(文語訳)「未だ神を見し者なし、ただ父の懷裡にいます獨子の神のみ之を顯し給へり。」ヨハネの第一の書4:9(文語訳)「神の愛われらに顯れたり。神はその生み給へる獨子を世に遣し、我等をして彼によりて生命を得しめ給ふに因る。」 ↩︎

2ヨハネ伝福音書16:7(文語訳)「されど、われ實を汝らに告ぐ、わが去るは汝らの益なり。我さらずば助主なんぢらに來らじ、我ゆかば之を汝らに遣さん。」ヨハネ伝福音書14:26(文語訳)「助主すなはちわが名によりて父の遣したまふ聖靈は、汝らに萬の事ををしへ、又すべて我が汝らに言ひしことを思ひ出さしむべし。」ヨハネ伝福音書15:26(文語訳)「父の許より我が遣さんとする助主、すなはち父より出づる眞理の御靈のきたらんとき、我につきて證せん。」マルコ伝福音書16:19(文語訳)「語り終へてのち、主イエスは天に擧げられ、神の右に坐し給ふ。」使徒行伝1:9(文語訳)「此等のことを言ひ終りて、彼らの見るがうちに擧げられ給ふ。雲これを受けて見えざらしめたり。」使徒行伝2:33(文語訳)「イエスは神の右に擧げられ、約束の聖靈を父より受けて、汝らの見聞する此のものを注ぎ給ひしなり。」ヘブル人への書1:3(文語訳)「御子は神の榮光のかがやき、神の本質の像にして、己が權能の言をもて萬の物を保ちたまふ。また罪の潔をなして、高き處にある稜威の右に坐し給へり。」 ↩︎

3マタイ伝福音書4:10(文語訳)「……「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事へ奉るべし」……」ヨハネ伝福音書13:13(文語訳)「なんぢら我を師また主ととなふ、然か言ふは宜なり、我は是なり。」マタイ伝福音書6:24(文語訳)「人は二人の主に兼ね事ふること能はず、或はこれを憎み彼を愛し、或はこれに親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず。」ロマ人への書14:8(文語訳)「われら生くるも主のために生き、死ぬるも主のために死ぬ。然れば生くるも死ぬるも我らは主の有なり。」コリント人への前の書6:19–20(文語訳)「汝らの身は、その内にある神より受けたる聖靈の宮にして、汝らは己の者にあらざるを知らぬか。 汝らは價をもて買はれたる者なり、然らばその身をもて神の榮光を顯せ。」『ポリュカルポスの殉教』9(ANF 1)「八十六年のあいだ、私はこの方に仕えてきたが、この方は一度も私に害をなさらなかった。それなのに、どうして私の王、私の救い主を冒瀆することができようか。」(ANF 1の英語から翻訳) ↩︎

4ヨハネの第一の書3:8(文語訳)「……神の子の現れ給ひしは、惡魔の業を毀たん爲なり。」ヤコブの書4:7(文語訳)「この故に汝ら神に服へ、惡魔に立ち向へ、さらば彼なんぢらを逃げ去らん。」エペソ人への書6:11(文語訳)「惡魔の術に向ひて立ち得んために、神の武具をもて鎧ふべし。」ヒッポリュトス、『使徒伝承』21(Easton)「サタンよ、私はおまえと、おまえのすべての僕と、おまえのすべての業とを退ける。」(Eastonの英語から翻訳)テルトゥリアヌス、『見世物について』4(ANF 3)「私たちは、悪魔とその虚飾とその使いたちとを退けたことを、公に証しする。」(ANF 3の英語から翻訳)エルサレムのキュリロス、『教理講話』19(『秘義教話』1)、4–8(NPNF2 7)「……あなたは、彼がそこにいるかのように彼に向かって腕を伸ばし、『サタンよ、私はおまえを退ける』と言うよう命じられる。……次に第二の文で、あなたは『そしておまえのすべての業を』と言うよう教えられる。」(NPNF2 7の英語から翻訳) ↩︎

5ヨハネの黙示録5:13(文語訳)「……『願はくは御座に坐し給ふものと羔羊とに、讃美と尊崇と榮光と權力と世々限りなくあらん事を』」テモテへの前の書1:17(文語訳)「願はくは萬世の王、すなはち朽ちず見えざる唯一の神に、世々限りなく尊貴と榮光とあらん事を、アァメン。」ユダの書25(文語訳)「即ち我らの救主なる唯一の神に、榮光・稜威・權力・權威、われらの主イエス・キリストに由りて、萬世の前にも今も萬世までも在らんことを、アァメン」ロマ人への書16:27(文語訳)「唯一の智き神に、榮光世々限りなくイエス・キリストに由りて在らんことを、アァメン。」「至高の神」:創世記14:18–20(文語訳)「時にサレムの王メルキゼデク、パンと酒を携出せり彼は至高き神の祭司なりき 彼アブラムを祝して言けるは願くは天地の主なる至高神アブラムを祝福みたまへ 願くは汝の敵を汝の手に付したまひし至高神に稱譽あれとアブラム乃ち彼に其諸の物の什分の一を餽れり」マルコ伝福音書5:7(文語訳)「大聲に叫びて言ふ『いと高き神の子イエスよ、我は汝と何の關係あらん、神によりて願ふ、我を苦しめ給ふな』」ルカ伝福音書8:28(文語訳)「イエスを見てさけび、御前に平伏して大聲にいふ『至高き神の子イエスよ、我は汝と何の關係あらん、願はくは我を苦しめ給ふな』」使徒行伝16:17(文語訳)「彼はパウロ及び我らの後に從ひつつ叫びて言ふ『この人たちは至高き神の僕にて、汝らに救の道を教ふる者なり』」 ↩︎

6ヤコブの書1:1(文語訳)「……散り居る十二の族の平安を祈る。」ペテロの前の書1:1(文語訳)「……ポント、ガラテヤ、カパドキヤ、アジヤ、ピテニヤに散りて宿れる者……」ヨハネ伝福音書11:52(文語訳)「……散りたる神の子らを一つに集めん爲に……」ヨハネ伝福音書10:16(文語訳)「我には亦この檻のものならぬ他の羊あり、之をも導かざるを得ず、彼らは我が聲をきかん、遂に一つの群ひとりの牧者となるべし。」使徒行伝8:4(文語訳)「ここに散されたる者ども歴巡りて御言を宣べしが、」 ↩︎

7ダニエル書2:41–44(文語訳)「汝その足と足の趾を見たまひしに一分は陶人の泥土一分は鐵なりければその國は分裂たる者ならん又汝鐵と粘土との混和たるを見たまひたればその國は鐵のごとく強からん その足の趾の一分は鐵一分は泥土なりしごとくその國は強きところもあり脆きところも有ん 汝が鐵と粘土との混りたるを見たまひしごとく其等は人草の種子と混らん然ど鐵と泥土との相合せざるごとく彼と此と相合すること有じ この王等の日に天の神一の國を建たまはん是は何時までも滅ぶること無らん此國は他の民に歸せず却てこの諸の國を打破りてこれを滅せん是は立ちて永遠にいたらん」ダニエル書7:7(文語訳)「我夜の異象の中に見しにその後第四の獣いでたりしが是は畏しく猛く大に強くして大なる鐵の歯あり食ひかつ咬碎きてその殘餘をば足にて踏つけたり是はその前に出たる諸の獣とは異なりてまた十の角ありき」ダニエル書7:20(文語訳)「此獣の頭には十の角ありしが其他にまた一の角いできたりしかば之がために三の角抜おちたり此角には目ありまた大なる事を言ふ口ありてその状はその同類よりも強く見えたり我またこの事を知んと欲せり」ダニエル書7:24(文語訳)「その十の角はこの國に興らんところの十人の王なり……」ヨハネの黙示録12:3(文語訳)「また天に他の徴見えたり。視よ、大なる赤き龍あり、これに七つの頭と十の角とありて、頭には七つの冠冕あり。」ヨハネの黙示録12:18–13:1(文語訳)「海邊の砂の上に立てり。 我また一つの獸の海より上るを見たり。之に十の角と七つの頭とあり、その角に十の冠冕あり、頭の上には神を涜す名あり。」ヨハネの黙示録17:3(文語訳)「かくてわれ御靈に感じ、御使に携へられて荒野にゆき、緋色の獸に乘れる女を見たり、この獸の體は神を涜す名にて覆はれ、また七つの頭と十の角とあり。」ヨハネの黙示録17:7(文語訳)「御使われに言ふ『なにゆゑ怪しむか、我この女と之を乘せたる七つの頭、十の角ある獸との奧義を汝に告げん。」ヨハネの黙示録17:12(文語訳)「汝の見し十の角は十人の王にして未だ國を受けざれども、一時のあひだ獸と共に王のごとき權威を受くべし。」ヨハネの黙示録17:13(文語訳)「彼らは心を一つにして己が能力と權威とを獸にあたふ。」ヨハネの黙示録17:16–17(文語訳)「なんぢの見し十の角と獸とは、かの淫婦を憎み、之をして荒涼ばしめ、裸ならしめ、且その肉を喰ひ、火をもて之を燒き盡さん。 神は彼らに御旨を行ふことと、心を一つにすることと、神の御言の成就するまで國を獸に與ふることとを思はしめ給ひたればなり。」エイレナイオス、『異端反駁』5.26.1(ANF 1)「その時に起こり、今[地を]支配している帝国がその間に分割される十人の王」(ANF 1の英語から翻訳)ヒッポリュトス、『キリストと反キリストについて』25、27–28(ANF 5)「第四の獣の十の角は十の王国に配分されている」(ANF 5の英語から翻訳)ラクタンティウス、『神聖教理』7.16(ANF 7)「ついに十人の王が同時に起こり、世界を、治めるためではなく食い尽くすために分け取るに至るまで」(ANF 7の英語から翻訳)『バルナバの手紙』4(ANF 1)「十の王国が地上を治め、その後に一人の小さな王が起こり、王たちのうちの三人をひとまとめに従わせるであろう。」(ANF 1の英語から翻訳) ↩︎

8テモテへの前の書4:14(文語訳)「なんぢ長老たちの按手を受け、預言によりて賜はりたる賜物を等閑にすな。」テモテへの後の書1:6(文語訳)「この故に、わが按手に因りて汝の内に得たる神の賜物をますます熾にせんことを勸む。」テモテへの前の書5:22(文語訳)「輕々しく人に手を按くな、人の罪に與るな、自ら守りて潔くせよ。」使徒行伝6:6(文語訳)「使徒たちの前に立てたれば、使徒たち祈りて手をその上に按けり。」使徒行伝13:3(文語訳)「ここに彼ら斷食し、祈りて二人の上に手を按きて往かしむ。」使徒行伝14:23(文語訳)「また教會毎に長老をえらび、斷食して祈り、弟子たちを其の信ずる所の主に委ぬ。」テトスへの書1:5(文語訳)「……わが命ぜしごとく町々に長老を立てしめん……」ヒッポリュトス、『使徒伝承』2(Easton)「主教たちが彼の上に手を置き、長老団は黙って傍らに立つ。」(Eastonの英語から翻訳) ↩︎

9『クレメンスの第一の手紙』42(ANF 1)「彼らは[その労苦の]初穂を、まず御霊によって試したうえで、後に信じる者たちの主教および執事として任命した。」(ANF 1の英語から翻訳)『クレメンスの第一の手紙』44「彼らは前に述べた[奉仕者たち]を任命し、その後、これらの者が眠りについたときには、ほかの認められた人々が彼らの務めを継ぐようにと指示を与えた。」(ANF 1の英語から翻訳)エイレナイオス、『異端反駁』3.3.1(ANF 1)「私たちは、使徒たちによって諸教会において主教に立てられた人々を数え上げ、また私たち自身の時代に至るまでのこれらの人々の継承を[示す]ことができる立場にある。」(ANF 1の英語から翻訳)3.3.3「それゆえ、祝福された使徒たちは、教会を創設し建て上げたのち、主教職をリノスの手に委ねた。」(ANF 1の英語から翻訳)テルトゥリアヌス、『異端者への抗弁』32(ANF 3)「彼らに、初めから正しい継承によって受け継がれてきた自分たちの主教の名簿を広げさせよ。」(ANF 3の英語から翻訳)エウセビオス、『教会史』3.4(リノス)(NPNF2 1)「……リノスは、彼がテモテへの第二の手紙の中でローマにおける自分の同伴者として挙げている人であり、すでに示したとおり、そこの教会の主教職においてペテロの後継者となった。」(NPNF2 1の英語から翻訳)3.22(エウオディオス)「このころ、イグナティオスがアンティオキアの第二代の主教として知られていた。エウオディオスが初代であった。」(NPNF2 1の英語から翻訳)3.36(イグナティオス)「……イグナティオスは、ペテロから数えて第二の継承者としてアンティオキアの主教に選ばれた人であり、その名声は今なお非常に多くの人々によってたたえられている。」(NPNF2 1の英語から翻訳)キプリアヌス、『書簡』26.1(ANF 5;Oxford 33)「教会は主教たちの上に建てられ、教会のあらゆる行為は、これら同じ治める者たちによって統べられている。」(ANF 5の英語から翻訳) ↩︎

10マタイ伝福音書10:1–4(文語訳)「かくてイエスその十二弟子を召し、穢れし靈を制する權威をあたへて、之を逐ひ出し、もろもろの病、もろもろの疾患を醫すことを得しめ給ふ。 十二使徒の名は左のごとし。先づペテロといふシモン及びその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブ及びその兄弟ヨハネ、 ピリポ及びバルトロマイ、トマス及び取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブ及びタダイ、 熱心黨のシモン及びイスカリオテのユダ、このユダはイエスを賣りし者なり。」ルカ伝福音書6:13(文語訳)「夜明になりて弟子たちを呼び寄せ、その中より十二人を選びて、之を使徒と名づけたまふ。」(十二使徒)。ガラテヤ人への書1:1(文語訳)「人よりに非ず、人に由るにも非ず、イエス・キリスト及び之を死人の中より甦へらせ給ひし父なる神に由りて使徒となれるパウロ、」使徒行伝9:15(文語訳)「主いひ給ふ『往け、この人は異邦人・王たち・イスラエルの子孫のまへに、我が名を持ちゆく我が選の器なり。」ガラテヤ人への書2:9(文語訳)「また我に賜はりたる恩惠をさとりて、柱と思はるるヤコブ、ケパ、ヨハネは、交誼の印として我とバルナバとに握手せり。これは我らが異邦人にゆき、彼らが割禮ある者に往かん爲なり。」(パウロ)。ルカ伝福音書10:1(文語訳)「この事ののち、主、ほかに七十人をあげて、自ら往かんとする町々處々へ、おのれに先だち二人づつを遣さんとして言ひ給ふ、」ルカ伝福音書10:16(文語訳)「汝等に聽く者は我に聽くなり、汝らを棄つる者は我を棄つるなり。我を棄つる者は我を遣し給ひし者を棄つるなり』」エウセビオス、『教会史』1.12(NPNF2 1)、七十人について「タダイもまたその一人であったと言われている……」(NPNF2 1の英語から翻訳) ↩︎

11テモテへの前の書3:1(文語訳)「『人もし監督の職を慕はば、これよき業を願ふなり』とは、信ずべき言なり。」テモテへの前の書3:2–7(文語訳)「それ監督は責むべき所なく、一人の妻の夫にして、自ら制し、愼み、品行正しく、旅人を懇ろに待し、能く教へ、 酒を嗜まず、人を打たず、寛容にし、爭はず、金を貪らず、 善く己が家を理め、謹嚴にして子女を從順ならしむる者たるべし。 (人もし己が家を理むることを知らずば、爭でが神の教會を扱ふことを得ん) また新に教に入りし者ならざるべし、恐らくは傲慢になりて惡魔と同じ審判を受くるに至らん。 外の人にも令聞ある者たるべし、然らずば誹謗と惡魔の羂とに陷らん。」テトスへの書1:7–9(文語訳)「それ監督は神の家司なれば、責むべき所なく、放縱ならず、輕々しく怒らず、酒を嗜まず、人を打たず、恥づべき利を取らず、 反つて旅人を懇ろに待ひ、善を愛し、謹愼あり、正しく潔く節制にして、 教に適ふ信ずべき言を守る者たるべし。これ健全なる教をもて人を勸め、かつ言ひ逆ふ者を言ひ伏することを得んためなり。」使徒行伝20:28(文語訳)「汝等みづから心せよ、又すべての群に心せよ、聖靈は汝等を群のなかに立てて監督となし、神の己の血をもて買ひ給ひし教會を牧せしめ給ふ。」ピリピ人への書1:1(文語訳)「キリスト・イエスの僕たる我ら、パウロとテモテと、書をピリピにをるキリスト・イエスに在る凡ての聖徒、および監督たちと執事たちとに贈る。」ペテロの前の書5:1–4(文語訳)「われ汝らの中なる長老たちに勸む(我は汝らと同じく長老たる者、またキリストの苦難の證人、顯れんとする榮光に與る者なり) 汝らの中にある神の群羊を牧へ。止むを得ずして爲さず、神に從ひて心より爲し、利を貪るために爲さず、悦びてなし、 委ねられたる者の主とならず、群羊の模範となれ。 さらば大牧者の現れ給ふとき、萎まざる光榮の冠冕を受けん。」イグナティオス、『エフェソ人への手紙』6(ANF 1)「私たちは、主教を、主御自身を見るように見なければならない。」(ANF 1の英語から翻訳)『マグネシア人への手紙』6「あなたがたの主教は神に代わって、あなたがたの長老たちは使徒たちの会議に代わって、座を占めている。」(ANF 1の英語から翻訳)『トラレス人への手紙』3「同じように、すべての者は、執事たちをイエス・キリストの定めとして、主教を父の御子であるイエス・キリストとして、長老たちを神のサンヘドリン、使徒たちの会議として敬わなければならない。これらを離れては、教会はない。」(ANF 1の英語から翻訳)『スミルナ人への手紙』8「主教が現れるところには、どこでも会衆[の民]もまたいなければならない。イエス・キリストがおられるところには、どこでも公同の教会があるのと同じように。」(ANF 1の英語から翻訳) ↩︎

12マタイ伝福音書13:52(文語訳)「また言ひ給ふ『この故に、天國のことを教へられたる凡ての學者は、新しき物と舊き物とをその倉より出す家主のごとし』」マタイ伝福音書23:34(文語訳)「この故に視よ、我なんぢらに預言者・智者・學者らを遣さんに……」エズラ書7:6(文語訳)「此エズラ、バビロンより上り來れり 彼はイスラエルの神ヱホバの授けたまひしモーセの律法に精しき學士なりき 其神ヱホバの手これが上にありしに因てその求むる所を王ことごとく許せり」エズラ書7:10(文語訳)「エズラは心をこめてヱホバの律法を求め之を行ひてイスラエルの中に法度と例規とを教へたりき」ハバクク書2:2(文語訳)「ヱホバわれに答へて言たまはく 此黙示を書しるして之を板の上に明白に鐫つけ奔りながらも之を讀むべからしめよ」エレミヤ記30:2(文語訳)「イスラエルの神ヱホバかく告ていふ我汝に言し言をことごとく書に錄せ」ヨハネの黙示録1:11(文語訳)「曰く『なんぢの見る所のことを書に録して、エペソ、スミルナ、ペルガモ、テアテラ、サルデス、ヒラデルヒヤ、ラオデキヤに在る七つの教會に贈れ』」ヨハネの黙示録1:19(文語訳)「されば汝が見しことと今あることと、後に成らんとする事とを録せ、」 ↩︎

13エペソ人への書4:11(文語訳)「彼は或人を使徒とし、或人を預言者とし、或人を傳道者とし、或人を牧師・教師として與へ給へり。」ロマ人への書12:4–8(文語訳)「人は一つ體におほくの肢あれども、凡ての肢その運用を同じうせぬ如く、 我らも多くあれど、キリストに在りて一つ體にして、各人たがひに肢たるなり。 われらが有てる賜物はおのおの與へられし恩惠によりて異なる故に、或は預言あらば信仰の量にしたがひて預言をなし、 或は務あらば務をなし、或は教をなす者は教をなし、 或は勸をなす者は勸をなし、施す者はをしみなく施し、治むる者は心を盡して治め、憐憫をなす者は喜びて憐憫をなすべし。」コリント人への前の書12:4–11(文語訳)「賜物は殊なれども、御靈は同じ。 務は殊なれども、主は同じ。 活動は殊なれども、凡ての人のうちに凡ての活動を爲したまふ神は同じ。 御靈の顯現をおのおのに賜ひたるは、益を得させんためなり。 或人は御靈によりて智慧の言を賜はり、或人は同じ御靈によりて知識の言、 或人は同じ御靈によりて信仰、ある人は一つ御靈によりて病を醫す賜物、 或人は異能ある業、ある人は預言、ある人は靈を辨へ、或人は異言を言ひ、或人は異言を釋く能力を賜はる。 凡て此等のことは同じ一つの御靈の活動にして、御靈その心に隨ひて各人に分け與へたまふなり。」コリント人への前の書12:28–29(文語訳)「神は第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、その次に異能ある業、次に病を醫す賜物、補助をなす者、治むる者、異言などを教會に置きたまへり。 是みな使徒ならんや、みな預言者ならんや、みな教師ならんや、みな異能ある業を行ふ者ならんや。」コリント人への前の書7:7(文語訳)「わが欲する所は、すべての人の我が如くならん事なり。然れど神より各自おのが賜物を受く、此は此のごとく、彼は彼のごとし。」ペテロの前の書4:10–11(文語訳)「神のさまざまの恩惠を掌どる善き家司のごとく、各人その受けし賜物をもて互に事へよ。 もし語るならば、神の言をかたる者のごとく語り、事ふるならば、神の與へたまふ能力を受けたる者のごとく事へよ。是イエス・キリストによりて事々に神の崇められ給はん爲なり。榮光と權力とは世々限りなく彼に歸するなり、アァメン。」『クレメンスの第一の手紙』41(ANF 1)「兄弟たちよ、あなたがたは各自、自分の順序において神に感謝せよ……自分に定められた奉仕の規則を越えることなく。」(ANF 1の英語から翻訳)『ディダケー』15.1(ANF 7)「それゆえ、主にふさわしい主教と執事とを、あなたがた自身のために任命せよ。柔和で、金銭を愛さず、真実で、試された人々を。彼らもまた、あなたがたのために預言者と教師の務めを果たすからである。」(ANF 7の英語から翻訳) ↩︎

14マタイ伝福音書16:18–19(文語訳)「……われ天國の鍵を汝に與へん、凡そ汝が地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり』」マタイ伝福音書18:18(文語訳)「まことに汝らに告ぐ、すべて汝らが地にて縛ぐ所は天にても縛ぎ、地にて解く所は天にても解くなり。」ヨハネ伝福音書20:21–23(文語訳)「イエスまた言ひたまふ『平安なんぢらに在れ、父の我を遣し給へるごとく、我も亦なんぢらを遣す』 斯く言ひて、息を吹きかけ言ひたまふ『聖靈をうけよ。 なんじら誰の罪を赦すとも其の罪ゆるされ、誰の罪を留むるとも其の罪とどめらるべし』」イザヤ書22:22(文語訳)「我またダビデのいへの鑰をその肩におかん 彼あくればとづるものなく彼とづればあくるものなし」ヨハネの黙示録1:18(文語訳)「活ける者なり、われ曾て死にたりしが、視よ、世々限りなく生く。また死と陰府との鍵を有てり。」ヨハネの黙示録3:7(文語訳)「ヒラデルヒヤにある教會の使に書きおくれ。「聖なるもの眞なる者、ダビデの鍵を持ちて、開けば閉づる者なく、閉づれば開く者なき者かく言ふ、」後継者について:使徒行伝1:20–26(文語訳)「それは詩篇に録して 「彼の住處は荒れ果てよ、 人その中に住はざれ」と云ひ、 又「その職はほかの人に得させよ」と云ひたり。 然れば主イエス我等のうちに往來し給ひし間、 即ちヨハネのバプテスマより始り、我らを離れて擧げられ給ひし日に至るまで、常に我らと偕に在りし此の人々のうち一人、われらと共に主の復活の證人となるべきなり』 ここにバルサバと稱へられ、またの名をユストと呼ばるるヨセフ及びマツテヤの二人をあげ、 祈りて言ふ『凡ての人の心を知りたまふ主よ、ユダ己が所に往かんとて此の務と使徒の職とより墮ちたれば、その後を繼がするに、此の二人のうち孰を選び給ふか示したまへ』 かくて鬮せしに、鬮はマツテヤに當りたれば、彼は十一の使徒に加へられたり。」テモテへの後の書2:2(文語訳)「且おほくの證人の前にて、我より聽きし所のことを他の者に教へ得る忠實なる人々に委ねよ。」テトスへの書1:5(文語訳)「わが汝をクレテに遣し置きたる故は、汝をして缺けたる所を正し、且わが命ぜしごとく町々に長老を立てしめん爲なり。」オリゲネス、『マタイによる福音書注解』12.10–11、14(ANF 9)「天国の鍵は主によってペテロにだけ与えられ、ほかの祝福された者たちはだれもそれを受けないのであろうか。」(ANF 9の英語から翻訳)および「ペテロに、またすべてのペテロに、『わたしはあなたに天国の鍵を与えよう』と言われていることが、どのような意味であるかを見よう。」(ANF 9の英語から翻訳)キプリアヌス、『教会の一致について』4–5(ANF 5)「復活の後、主はすべての使徒たちに等しい権能を与えられる」(ANF 5の英語から翻訳);「主教職は一つであり、その各部分は、各人によって全体のために保たれている。」(ANF 5の英語から翻訳) ↩︎

15ヨハネ伝福音書7:16(文語訳)「イエス答へて言ひ給ふ『わが教はわが教にあらず、我を遣し給ひし者の教なり。」ヨハネ伝福音書12:49–50(文語訳)「我はおのれに由りて語れるにあらず、我を遣し給ひし父みづから、我が言ふべきこと語るべきことを命じ給ひし故なり。 我その命令の永遠の生命たるを知る。されば我は語るに我が父の我に言ひ給ふままを語るなり』」ヨハネ伝福音書14:24(文語訳)「我を愛せぬ者は、わが言を守らず。汝らが聞くところの言は、わが言にあらず、我を遣し給ひし父の言なり。」ヨハネ伝福音書17:8(文語訳)「我は我に賜ひし言を彼らに與へ、彼らは之を受け、わが汝より出でたるを眞に知り、なんぢの我を遣し給ひしことを信じたるなり。」マタイ伝福音書28:20(文語訳)「わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』」ユダの書3(文語訳)「……聖徒の一たび傳へられたる信仰のために戰はん……」テモテへの後の書1:13(文語訳)「汝キリスト・イエスにある信仰と愛とをもて我より聽きし健全なる言の模範を保ち、」ヘブル人への書2:3(文語訳)「我ら斯くのごとき大なる救を等閑にして爭でか遁るることを得ん。この救は初め主によりて語り給ひしものにして、聞きし者ども之を我らに確うし、」 ↩︎

16コリント人への後の書2:17(文語訳)「我らは多くの人のごとく神の言を曲げず……」コリント人への後の書4:2(文語訳)「恥づべき隱れたる事をすて、惡巧に歩まず、神の言をみださず、眞理を顯して神の前に己を凡ての人の良心に薦むるなり。」ペテロの後の書3:16(文語訳)「彼はその凡ての書にも此等のことに就きて語る、その中には悟りがたき所あり、無學のもの心の定らぬ者は、他の聖書のごとく之をも強ひ釋きて自ら滅亡を招くなり。」エレミヤ記8:8(文語訳)「汝いかで我ら智慧ありわれらにはヱホバの律法ありといふことをえんや視よまことに書記の僞の筆之を僞とせり」ガラテヤ人への書1:7(文語訳)「此は福音と言ふべき者にあらず、ただ或人々が汝らを擾してキリストの福音を變へんとするなり。」申命記4:2(文語訳)「我が汝らに命ずる言は汝らこれを増しまたは減すべからず我が汝らに命ずる汝らの神ヱホバの命令を守るべし」ヨハネの黙示録22:18–19(文語訳)「われ凡てこの書の預言の言を聞く者に證す。もし之に加ふる者あらば、神はこの書に記されたる苦難を彼に加へ給はん。 若しこの預言の書の言を省く者あらば、神はこの書に記されたる生命の樹、また聖なる都より彼の受くべき分を省き給はん。」エイレナイオス、『異端反駁』1.8.1(ANF 1):異端者は聖書を、宝石で作られた王の像を手にして次のようにする者のように扱う。「それをすっかりばらばらにし、宝石を並べ替え、それらを組み合わせて犬か狐の形にしてしまう。」(ANF 1の英語から翻訳)1.9.4「彼らは、すでに述べたように、それらを自然な意味から不自然な意味へとねじ曲げる。」(ANF 1の英語から翻訳)テルトゥリアヌス、『異端者への抗弁』38「教理の相違が見いだされるところには、聖書とその解釈との両方の改竄が存在するとみなさなければならない。……ある者は手で聖書を曲げ、ある者は解釈によってその意味を曲げる。」(英語から翻訳) ↩︎

17使徒行伝8:20(文語訳)「ペテロ彼に言ふ『なんぢの銀は汝とともに亡ぶべし、なんぢ金をもて神の賜物を得んと思へばなり。」使徒行伝8:18–23(文語訳)「使徒たちの按手によりて其の御靈を與へられしを見て、シモン金を持ち來りて言ふ、 『わが手を按くすべての人の聖靈を受くるやうに、此の權威を我にも與へよ』 ペテロ彼に言ふ『なんぢの銀は汝とともに亡ぶべし、なんぢ金をもて神の賜物を得んと思へばなり。 なんぢは此の事に關係なく干與なし、なんぢの心、神の前に正しからず。 然ればこの惡を悔改めて主に祈れ、なんぢが心の念あるひは赦されん。 我なんぢが苦き膽汁と不義の繋とに居るを見るなり』」マタイ伝福音書10:8(文語訳)「病める者をいやし、死にたる者を甦へらせ、癩病人をきよめ、惡鬼を逐ひいだせ。價なしに受けたれば價なしに與へよ。」テモテへの前の書6:5(文語訳)「また心腐りて眞理をはなれ、敬虔を利益の道とおもふ者の爭論おこるなり。」テモテへの前の書6:10(文語訳)「それ金を愛するは諸般の惡しき事の根なり、ある人々これを慕ひて信仰より迷ひ、さまざまの痛をもて自ら己を刺しとほせり。」テトスへの書1:11(文語訳)「彼らの口を箝がしむべし、彼らは恥づべき利を得んために、教ふまじき事を教へて全家を覆へすなり。」ペテロの後の書2:3(文語訳)「彼らは貪慾によりて飾言を設け、汝等より利をとらん。彼らの審判は古へより定められたれば遲からず、その滅亡は寢ねず。」ミカ書3:11(文語訳)「その首領等は賄賂をとりて審判をなしその祭司等は値錢を取て教晦をなす 又その預言者等は銀子を取て占卜を爲しヱホバに倚頼みて云ふヱホバわれらと偕に在すにあらずや 然ば災禍われらに降らじと」ヨハネ伝福音書2:16(文語訳)「鴿をうる者に言ひ給ふ『これらの物を此處より取り去れ、わが父の家を商賣の家とすな』」『ディダケー』11.6(ANF 7)「もし彼が金銭を求めるなら、彼は偽預言者である。」(ANF 7の英語から翻訳)『使徒規定』29(NPNF2 14)「もし主教、長老、または執事が、金銭によってその位を手に入れたならば、彼も彼を叙任した者も、ともに罷免されるべきである……」(NPNF2 14の英語から翻訳)カルケドン公会議(451年)、第2条(NPNF2 14)「もし主教が金銭のために叙任を行い、売ることのできない恵みを売りに出すならば……」(NPNF2 14の英語から翻訳) ↩︎

18ヨハネ伝福音書10:10(文語訳)「盜人のきたるは盜み、殺し、亡さんとするの他なし。わが來るは羊に生命を得しめ、かつ豐に得しめん爲なり。」ヨハネ伝福音書16:2(文語訳)「人なんぢらを除名すべし、然のみならず、汝らを殺す者みな自ら神に事ふと思ふとき來らん。」マタイ伝福音書23:34–35(文語訳)「この故に視よ、我なんぢらに預言者・智者・學者らを遣さんに、其の中の或者を殺し、十字架につけ、或者を汝らの會堂にて鞭うち、町より町に逐ひ苦しめん。 之によりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝らが殺ししバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上にて流したる正しき血は、皆なんぢらに報い來らん。」エレミヤ記23:1–2(文語訳)「ヱホバいひ給ひけるは嗚呼わが養ふ群を滅し散す牧者は禍なるかな 故にイスラエルの神ヱホバ我民を養ふ牧者につきて斯いふ汝らはわが群を散しこれを逐はなちて顧みざりき視よわれ汝らの惡き行によりて汝等に報ゆべしとヱホバいふ」 ↩︎

19テモテへの後の書4:2(文語訳)「なんぢ御言を宣傳へよ、機を得るも機を得ざるも常に勵め、寛容と教誨とを盡して責め、戒め、勸めよ。」テトスへの書1:9(文語訳)「教に適ふ信ずべき言を守る者たるべし。これ健全なる教をもて人を勸め、かつ言ひ逆ふ者を言ひ伏することを得んためなり。」テモテへの前の書1:3(文語訳)「我マケドニヤに往きしとき汝に勸めし如く、汝なほエペソに留まり、ある人々に命じて、異なる教を傳ふることなく、」テモテへの後の書2:25(文語訳)「逆ふ者をば柔和をもて戒むべし、神あるひは彼らに悔改むる心を賜ひて眞理を悟らせ給はん。」エペソ人への書4:14(文語訳)「また我等はもはや幼童ならず、人の欺騙と誘惑の術たる惡巧とより起る樣々の教の風に吹きまはされず、」使徒行伝20:28–31(文語訳)「汝等みづから心せよ、又すべての群に心せよ、聖靈は汝等を群のなかに立てて監督となし、神の己の血をもて買ひ給ひし教會を牧せしめ給ふ。 われ知る、わが出で去るのち、暴き豺狼なんぢらの中に入りきたりて、群を惜まず、 又なんぢらの中よりも、弟子たちを己が方に引き入れんとて、曲れることを語るもの起らん。 されば汝ら目を覺しをれ。三年の間わが夜も晝も休まず、涙をもて汝等おのおのを訓戒せしことを憶えよ。」ポリュカルポス、『フィリピ人への手紙』7(ANF 1)「それゆえ、多くの人々の虚しさとその偽りの教えとを捨てて、初めから私たちに伝えられてきた言葉に立ち帰ろう……」(ANF 1の英語から翻訳);イグナティオス、『マグネシア人への手紙』8(ANF 1)「奇妙な教えにも、益のない古い作り話にも惑わされてはならない。」(ANF 1の英語から翻訳) ↩︎

20ヨハネの黙示録19:16(文語訳)「……『王の王、主の主』……」ヨハネの黙示録17:14(文語訳)「彼らは羔羊と戰はん。而して羔羊かれらに勝ち給ふべし、彼は主の主、王の王なればなり。これと偕なる召されたるもの、選ばれたるもの、忠實なる者も勝を得べし』」テモテへの前の書6:15(文語訳)「時いたらば幸福なる唯一の君主、もろもろの王の王、もろもろの主の主、これを顯し給はん。」使徒行伝5:29(文語訳)「ペテロ及び他の使徒たち答へて言ふ『人に從はんよりは神に從ふべきなり。」コロサイ人への書3:24(文語訳)「汝らは主より報として嗣業を受くることを知ればなり。汝らは主キリストに事ふる者なり。」マタイ伝福音書6:24(文語訳)「人は二人の主に兼ね事ふること能はず、或はこれを憎み彼を愛し、或はこれに親しみ彼を輕しむべければなり。汝ら神と富とに兼ね事ふること能はず。」 ↩︎

21マタイ伝福音書7:15–16、20(文語訳)「僞預言者に心せよ、羊の扮裝して來れども、内は奪ひ掠むる豺狼なり。 その果によりて彼らを知るべし。……」マタイ伝福音書24:11(文語訳)「多くの僞預言者おこりて、多くの人を惑さん。」マタイ伝福音書24:24(文語訳)「僞キリスト・僞預言者おこりて、大なる徴と不思議とを現し、爲し得べくば選民をも惑さんとするなり。」ヨハネの第一の書4:1(文語訳)「愛する者よ、凡ての靈を信ずな、その靈の神より出づるか否かを試みよ。多くの僞預言者世に出でたればなり。」コリント人への後の書11:13(文語訳)「かくの如きは僞使徒また詭計の勞動人にして、己をキリストの使徒に扮へる者どもなり。」ペテロの後の書2:1–3(文語訳)「されど民のうちに僞預言者おこりき、その如く汝らの中にも僞教師あらん。彼らは滅亡にいたる異端を持ち入れ、己らを買ひ給ひし主をさへ否みて、速かなる滅亡を自ら招くなり。 また多くの人かれらの好色に隨はん、之によりて眞の道を譏らるべし。 彼らは貪慾によりて飾言を設け、汝等より利をとらん。彼らの審判は古へより定められたれば遲からず、その滅亡は寢ねず。」ユダの書4(文語訳)「そは敬虔ならずして我らの神の恩惠を好色に易へ、唯一の主なる我らの主イエス・キリストを否むものども潜り入りたればなり。彼らが此の審判を受くべきことは昔より預じめ録されたり。」使徒行伝20:29–30(文語訳)「われ知る、わが出で去るのち、暴き豺狼なんぢらの中に入りきたりて、群を惜まず、 又なんぢらの中よりも、弟子たちを己が方に引き入れんとて、曲れることを語るもの起らん。」テモテへの前の書4:1–2(文語訳)「されど御靈あきらかに、或人の後の日に及びて、惑す靈と惡鬼の教とに心を寄せて、信仰より離れんことを言ひ給ふ。 これ虚僞をいふ者の僞善に由りてなり。彼らは良心を燒金にて烙かれ、」申命記13:1–5(文語訳)「汝らの中に預言者あるひは夢者興りて徴證と奇蹟を汝に見し 汝に告て我らは今より汝と我とが是まで識ざりし他の神々に從ひて之に事へんと言ことあらんにその徴證または奇蹟これが言ごとく成とも 汝その預言者または夢者の言に聽したがふ勿れ其は汝等の神ヱホバ汝らが心を盡し精神を盡して汝らの神ヱホバを愛するや否やを知んとて斯なんぢらを試みたまふなればなり 汝らは汝らの神ヱホバに從ひて歩み之を畏れその誡命を守りその言に遵ひ之に事へこれに附從ふべし その預言者または夢者をば殺すべし是は彼汝らをして汝らをエジプトの國より導き出し奴隸の家より贖ひ取たる汝らの神ヱホバに背かせんとし汝の神ヱホバの汝に歩めと命ぜし道より汝を誘ひ出さんとして語るに因てなり汝斯して汝の中より惡を除き去べし」申命記18:20–22(文語訳)「但し預言者もし我が語れと命ぜざる言を吾名をもて縦肆に語りまたは他の神々の名をもて語ることを爲すならばその預言者は殺さるべし 汝あるひは心に謂ん我ら如何にしてその言のヱホバの言たまふ者にあらざるを知んと 然ば若し預言者ありてヱホバの名をもて語ることをなすにその言就すまた効あらざる時は是ヱホバの語りたまふ言にあらずしてその預言者が縦肆に語るところなり汝その預言者を畏るるに及ばす」エレミヤ記23:16–32(文語訳)「萬軍のヱホバかくいひたまふ汝等に預言する預言者の言を聽く勿れ彼等は汝らを欺きヱホバの口よりいでざるおのが心の默示を語るなり 常に彼らは我を藐忽ずる者にむかひて汝等平安をえんとヱホバいひたまへりといひ又己が心の剛愎なるに循ひて行むところのすべての者に向ひて災汝らに來らじといへり 誰かヱホバの議會に立て其言を見聞せし者あらんや誰か其耳を傾けて我言を聽し者あらんや みよヱホバの暴風あり怒と旋轉風いでて惡人の首をうたん ヱホバの怒はかれがその心の思を行ひてこれを遂げ給ふまでは息じ末の日に汝ら明にこれを曉らん 預言者等はわが遣さざるに趨り我告ざるに預言せり 彼らもし我議會に立ちしならば我民にわが言をきかしめて之をその惡き途とその惡き行に離れしめしならん ヱホバいひ給ふ我はただ近くにおいてのみ神たらんや遠くに於ても神たるにあらずや ヱホバいひたまふ人我に見られざる樣に密かなる處に身を匿し得るかヱホバいひたまふ我は天地に充るにあらずや われ我名をもて謊を預言する預言者等がわれ夢を見たりわれ夢を見たりと曰ふをきけり 謊を預言する預言者等はいつまで此心をいだくや彼らは其心の詐僞を預言するなり 彼らは其先祖がバアルによりて我名を忘れしごとく互に夢をかたりて我民にわが名を忘れしめんと思ふや 夢をみし預言者は夢を語るべし我言を受し者は誠實をもて我言を語るべし糠いかで麥に比擬ことをえんやとヱホバいひたまふ ヱホバ言たまはく我言は火のごとくならずや又磐を打碎く槌の如くならずや 故に視よわれ我言を相互に竊める預言者の敵となるとヱホバいひたまふ 視よわれは彼いひたまへりと舌をもて語るところの預言者の敵となるとヱホバいひたまふ ヱホバいひたまひけるは視よわれ僞の夢を預言する者の敵となる彼らは之を語りまたその謊と其誇をもて我民を惑はす我かれらを遣さずかれらに命ぜざるなり故に彼らは斯民に益なしとヱホバいひ給ふ」エゼキエル書13:1–9(文語訳)「ヱホバの言われに臨みて言ふ 人の子よ預言を事とするイスラエルの預言者にむかひて預言せよ彼のおのれの心のままに預言する者等に言ふべし汝らヱホバの言を聽け 主ヱホバかくいひ給ふ彼の何をも見ずして己の心のままに行ふところの愚なる預言者は禍なるかな イスラエルよ汝の預言者は荒墟にをる狐のごとくなり 汝等は破壞口を守らずまたイスラエルの家の四周に石垣を築きてヱホバの日に防ぎ戰はんともせざるなり 彼らは虛浮者および虛妄の占卜を見る彼等はヱホバいひたまふと言ふといへどもヱホバはかれらを遣さざるなり然るに彼らその言の成らんことを望む 汝らは空しき異象を見虛妄の占卜を宣べ吾が言ふことあらざるにヱホバいひ給ふと言ふにあらずや 是故に主ヱホバかくいひたまふ汝等空虛き事を言ひ虛僞の物を見るによりて我なんぢらを罰せん主ヱホバこれをいふ 我手はかの虛浮き事を見虛僞の事を卜ひいふところの預言者等に加はるべし彼等はわが民の會にをらずなりイスラエルの家の籍にしるされずイスラエルの地にいることをえざるべし汝等すなはち吾のヱホバなるをしるにいたらん」ヨハネの黙示録2:2(文語訳)「われ汝の行爲と勞と忍耐とを知る。また汝が惡しき者を忍び得ざることと、自ら使徒と稱へて使徒にあらぬ者どもを試みて、その虚僞なるを見あらはししこととを知る。」『ディダケー』11–12(ANF 7)「しかし、だれであれ、霊によって『金銭か、ほかの何かを私に与えよ』と言う者には、耳を傾けてはならない……」(ANF 7の英語から翻訳)ヘルマス、『戒め』11(ANF 2)「霊感を受けていると言う人を、その行いと生活とによって試せ。」(ANF 2の英語から翻訳)イグナティオス、『エフェソ人への手紙』7「ある者たちは、悪しき欺きをもって[イエス・キリストの]名を持ち回りながら、神にふさわしくない事を行うのを常としている。あなたがたは、野獣から逃れるように、彼らから逃れなければならない。」(ANF 1の英語から翻訳)『エフェソ人への手紙』9「それでも私は、偽りの教えを持って、そこからあなたがたのところへ移って行った者たちがいると聞いた。しかしあなたがたは、彼らがあなたがたの間に種を蒔くのを許さず、彼らによって蒔かれたものを受け入れないように、耳をふさいだ……」(ANF 1の英語から翻訳)『トラレス人への手紙』6(ANF 1)「甘いぶどう酒に致命的な毒を混ぜて与える者たちのように。」(ANF 1の英語から翻訳)『スミルナ人への手紙』4–5「しかし私は、人の姿をしたあの獣たちから、あなたがたを前もって守る。あなたがたは彼らを受け入れないばかりでなく、できることなら、会うことさえしてはならない……ある者たちは無知のゆえに彼を否む、いやむしろ彼によって否まれたのであって、真理の擁護者というよりは死の擁護者である。」(ANF 1の英語から翻訳)殉教者ユスティノス、『トリュフォンとの対話』35(ANF 1)「友人たちよ、イエスの名によって進み出て、不敬虔で冒瀆的なことを語り、また行うよう教えた者が、大勢いた。」(ANF 1の英語から翻訳) ↩︎

22テトスへの書1:13(文語訳)「……されば汝きびしく彼らを責めよ、」テトスへの書1:10–11(文語訳)「服從せず、虚しき事をかたり、人の心を惑す者おほし、殊に割禮ある者のうちに多し。 彼らの口を箝がしむべし、彼らは恥づべき利を得んために、教ふまじき事を教へて全家を覆へすなり。」テトスへの書3:10(文語訳)「異端の者をば一度もしくは二度、訓戒して後これを棄てよ。」ロマ人への書16:17–18(文語訳)「兄弟よ、われ汝らに勸む、おほよそ汝らの學びし教に背きて分離を生じ、顛躓をおこす者に心して之に遠ざかれ。 かかる者は我らの主キリストに事へず、反つて己が腹に事へ、また甘き言と媚諂とをもて質朴なる人の心を欺くなり。」テモテへの前の書5:20(文語訳)「罪を犯せる者をば衆の前にて責めよ、これ他の人をも懼れしめんためなり。」ヨハネの第二の書10–11(文語訳)「人もし此の教を有たずして汝らに來らば、之を家に入るな、安かれと言ふな。 之に安かれと言ふ者は、その惡しき行爲に與するなり。」エペソ人への書5:11(文語訳)「實を結ばぬ暗き業に與する事なく、反つて之を責めよ。」ガラテヤ人への書2:11(文語訳)「されどケパがアンテオケに來りしとき、責むべき事のありしをもて面前これと諍ひたり。」ピリピ人への書3:2(文語訳)「なんぢら犬に心せよ、惡しき勞動人に心せよ、肉の割禮ある者に心せよ。」ポリュカルポス、『フィリピ人への手紙』7(ANF 1)「イエス・キリストが肉において来られたことを告白しない者はだれでも、反キリストである……」(ANF 1の英語から翻訳) ↩︎

23コリント人への後の書10:4–5(文語訳)「それ我らの戰爭の武器は肉に屬するにあらず、神の前には城砦を破るほどの能力あり、我等はもろもろの論説を破り、 神の示教に逆ひて建てたる凡ての櫓を毀ち……」エペソ人への書6:11–17(文語訳)「惡魔の術に向ひて立ち得んために、神の武具をもて鎧ふべし。 我らは血肉と戰ふにあらず、政治・權威、この世の暗黒を掌どるもの、天の處にある惡の靈と戰ふなり。 この故に神の武具を執れ、汝ら惡しき日に遭ひて仇に立ちむかひ、凡ての事を成就して立ち得んためなり。 汝ら立つに誠を帶として腰に結び、正義を胸當として胸に當て、 平和の福音の備を靴として足に穿け。 この他なほ信仰の盾を執れ、之をもて惡しき者の凡ての火矢を消すことを得ん。 また救の冑および御靈の劍、すなはち神の言を執れ。」ヘブル人への書4:12(文語訳)「神の言は生命あり、能力あり、兩刃の劍よりも利くして、精神と靈魂、關節と骨髓を透して之を割ち、心の念と志望とを驗すなり。」エレミヤ記1:10(文語訳)「みよ我けふ汝を萬民のうへと萬國のうへにたて汝をして或は抜き或は毀ち或は滅し或は覆し或は建て或は植しめん」エレミヤ記23:29(文語訳)「ヱホバ言たまはく我言は火のごとくならずや又磐を打碎く槌の如くならずや」創世記3:4–5(文語訳)「蛇婦に言けるは汝等かならず死る事あらじ 神汝等が之を食ふ日には汝等の目開け汝等神の如くなりて善惡を知るに至るを知りたまふなりと」ヨハネ伝福音書8:44(文語訳)「汝らは己が父惡魔より出でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初より人殺なり、また眞その中になき故に眞に立たず、彼は虚僞をかたる毎に己より語る、それは虚僞者にして虚僞の父なればなり。」マタイ伝福音書23:34–35(文語訳)「この故に視よ、我なんぢらに預言者・智者・學者らを遣さんに、其の中の或者を殺し、十字架につけ、或者を汝らの會堂にて鞭うち、町より町に逐ひ苦しめん。 之によりて義人アベルの血より、聖所と祭壇との間にて汝らが殺ししバラキヤの子ザカリヤの血に至るまで、地上にて流したる正しき血は、皆なんぢらに報い來らん。」ルカ伝福音書11:49–51(文語訳)「この故に神の智慧いへる言あり、われ預言者と使徒とを彼らに遣さんに、その中の或者を殺し、また逐ひ苦しめん。 世の創より流されたる凡ての預言者の血、 即ちアベルの血より、祭壇と聖所との間にて殺されたるザカリヤの血に至るまでを、今の代に糺すべきなり。然り、われ汝らに告ぐ、今の代は糺さるべし。」 ↩︎

24コリント人への後の書11:14(文語訳)「これ珍しき事にあらず、サタンも己を光の御使に扮へば、」コリント人への後の書11:15(文語訳)「その役者らが義の役者のごとく扮ふは大事にはあらず、彼等の終局はその業に適ふべし。」アタナシオス、『アントニオス伝』25、35–36(NPNF2 4):悪霊どもは「修道士の姿を装い、聖なる人々の言葉をまねる」(NPNF2 4の英語から翻訳)。また、真の幻については「その代わりに、言い表しがたい喜び、快活さ、勇気、新たにされた力、思いの静けさが来る」(NPNF2 4の英語から翻訳)。悪霊については「心の恐れ、思いの騒ぎと混乱、落胆」(NPNF2 4の英語から翻訳)。 ↩︎

25マタイ伝福音書24:5(文語訳)「多くの者わが名を冒し來り「我はキリストなり」と言ひて多くの人を惑さん。」マタイ伝福音書24:11(文語訳)「多くの僞預言者おこりて、多くの人を惑さん。」マタイ伝福音書24:24(文語訳)「僞キリスト・僞預言者おこりて、大なる徴と不思議とを現し、爲し得べくば選民をも惑さんとするなり。」ヨハネの黙示録12:9(文語訳)「かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」テサロニケ人への後の書2:9–11(文語訳)「彼はサタンの活動に從ひて來り、もろもろの虚僞なる力と徴と不思議と、 不義のもろもろの誑惑とを行ひて、亡ぶる者どもに向はん、彼らは眞理を愛する愛を受けずして、救はるることを爲ざればなり。 この故に神は、彼らが虚僞を信ぜんために惑をその中に働かせ給ふ。」テモテへの前の書4:1(文語訳)「されど御靈あきらかに、或人の後の日に及びて、惑す靈と惡鬼の教とに心を寄せて、信仰より離れんことを言ひ給ふ。」 ↩︎

26マタイ伝福音書28:18–20(文語訳)「イエス進みきたり、彼らに語りて言ひたまふ『我は天にても地にても一切の權を與へられたり。 されば汝ら往きて、もろもろの國人を弟子となし、父と子と聖靈との名によりてバプテスマを施し、 わが汝らに命ぜし凡ての事を守るべきを教へよ。視よ、我は世の終まで常に汝らと偕に在るなり』」マルコ伝福音書16:15(文語訳)「全世界を巡りて凡ての造られしものに福音を宣傳へよ。」ルカ伝福音書24:46–48(文語訳)「『かく録されたり、キリストは苦難を受けて、三日めに死人の中より甦へり、 且その名によりて罪の赦を得さする悔改は、エルサレムより始りて、もろもろの國人に宣傳へらるべしと。 汝らは此等のことの證人なり。」使徒行伝1:8(文語訳)「然れど聖靈なんぢらの上に臨むとき、汝ら能力をうけん、而してエルサレム、ユダヤ全國、サマリヤ、及び地の極にまで我が證人とならん』」マタイ伝福音書24:14(文語訳)「御國のこの福音は、もろもろの國人に證をなさんため全世界に宣傅へられん、而してのち終は至るべし。」ロマ人への書10:14–18(文語訳)「然れど未だ信ぜぬ者を爭で呼び求むることをせん、未だ聽かぬ者を爭で信ずることをせん、宣傳ふる者なくば爭で聽くことをせん。 遣されずば爭で宣傳ふることをせん『ああ美しきかな、善き事を告ぐる者の足よ』と録されたる如し。 されど、みな福音に從ひしにはあらず、イザヤいふ『主よ、われらに聞きたる言を誰か信ぜし』 斯く信仰は聞くにより、聞くはキリストの言による。 されど我いふ、彼ら聞えざりしか、然らず 『その聲は全地にゆきわたり、 其の言は世界の極にまで及べり』」ヨハネの黙示録14:6(文語訳)「我また他の御使の中空を飛ぶを見たり。かれは地に住むもの、即ちもろもろの國・族・國語・民に宣傳へんとて、永遠の福音を携へ、」エウセビオス、『教会史』3.1(NPNF2 1)「伝承によれば、パルティアはトマスに、スキタイはアンデレに、アジアはヨハネに、その働きの場として割り当てられた……」(NPNF2 1の英語から翻訳)テルトゥリアヌス、『護教論』37(ANF 3)「私たちは昨日の者にすぎないが、あなたがたの間のあらゆる場所を満たしている……」(ANF 3の英語から翻訳) ↩︎

27使徒行伝2:42(文語訳)「彼らは使徒たちの教を受け、交際をなし、パンを擘き、祈祷をなすことを只管つとむ。」テサロニケ人への後の書2:15(文語訳)「されば兄弟よ、堅く立ちて我らの言あるひは書に由りて教へられたる傳を守れ。」コリント人への前の書11:2(文語訳)「汝らは凡ての事につきて我を憶え、且わが傳へし所をそのまま守るに因りて、我なんぢらを譽む。」コリント人への前の書15:1–4(文語訳)「兄弟よ、曩にわが傳へし福音を更に復なんぢらに示す。汝らは之を受け、之に頼りて立ちたり。 なんぢら徒らに信ぜずして、我が傳へしままを堅く守らば、この福音に由りて救はれん。 わが第一に汝らに傳へしは、我が受けし所にして、キリスト聖書に應じて我らの罪のために死に、 また葬られ、聖書に應じて三日めに甦へり、」ユダの書3(文語訳)「愛する者よ、われ我らが共に與る救につき勵みて汝らに書き贈らんとせしが、聖徒の一たび傳へられたる信仰のために戰はんことを勸むる書を、汝らに贈るを必要と思へり。」テサロニケ人への前の書5:21(文語訳)「凡てのこと試みて善きものを守り、」 ↩︎

28マルコ伝福音書7:7–8(文語訳)「ただ徒らに我を拜む、 人の訓誡を教とし教へて」と録したり。 なんぢらは神の誡命を離れて、人の言傳を固く執る』」マルコ伝福音書7:13(文語訳)「かく汝らの傳へたる言傳によりて、神の言を空しうし、又おほく此の類の事をなしをるなり』」マタイ伝福音書15:9(文語訳)「ただ徒らに我を拜む。 人の訓誡を教とし教へて」』」イザヤ書29:13(文語訳)「主いひ給はく この民は口をもて我にちかづき口唇をもてわれを敬へども その心はわれに遠かれり そのわれを畏みおそるるは人の誡命によりてをしへられしのみ」コロサイ人への書2:8(文語訳)「なんぢら心すべし、恐らくはキリストに從はずして人の言傳と世の小學とに從ひ、人を惑す虚しき哲學をもて汝らを奪ひ去る者あらん。」コロサイ人への書2:20–22(文語訳)「汝等もしキリストと共に死にて此の世の小學を離れしならば、何ぞなほ世に生ける者のごとく人の誡命と教とに循ひて 『捫るな、味ふな、觸るな』と云ふ規の下に在るか。 (此等はみな用ふれば盡くる物なり)」テトスへの書1:14(文語訳)「彼らがユダヤ人の昔話と眞理を棄てたる人の誡命とに心を寄することなく、信仰を健全にせん爲なり。」テルトゥリアヌス、『処女のヴェールについて』1(ANF 4)「しかし私たちの主キリストは、御自身を『慣習』ではなく『真理』と名づけられた。」(ANF 4の英語から翻訳)キプリアヌス、『書簡』73.9(ANF 5;Oxford 74)「……真理のない慣習は、誤謬の古さにすぎないからである。」(ANF 5の英語から翻訳)エイレナイオス、『異端反駁』3.4.1–2「それゆえ、私たちはこのような証拠を持っているのだから、教会から容易に得られる真理を、ほかの人々の間に求める必要はない……こうして、使徒たちのあの古い伝承によって、彼らは、これらの教師たちの奇怪な言葉[が示唆する教理]のいかなるものも、その心に思い描くことを許さない……」(英語から翻訳)レランスのウィンケンティウス、『備忘録』2(NPNF2 11)「私たちは、どこにおいても、常に、すべての人によって信じられてきた信仰を保持する。」(NPNF2 11の英語から翻訳) ↩︎

29テモテへの前の書4:1(文語訳)「されど御靈あきらかに、或人の後の日に及びて、惑す靈と惡鬼の教とに心を寄せて、信仰より離れんことを言ひ給ふ。」テモテへの前の書4:2–3(文語訳)「これ虚僞をいふ者の僞善に由りてなり。彼らは良心を燒金にて烙かれ、 婚姻するを禁じ、食を斷つことを命ず。されど食は神の造り給へる物にして、信じかつ眞理を知る者の感謝して受くべきものなり。」ヤコブの書3:15(文語訳)「かかる智慧は上より下るにあらず、地に屬し、情慾に屬し、惡鬼に屬するものなり。」コリント人への後の書11:3–4(文語訳)「されど我が恐るるは、蛇の惡巧によりてエバの惑されし如く、汝らの心害はれてキリストに對する眞心と貞操とを失はん事なり。 もし人きたりて我らの未だ宣べざる他のイエスを宣ぶる時、また汝らが未だ受けざる他の靈を受け、未だ受け容れざる他の福音を受くるときは、汝ら能く之を忍ばん。」 ↩︎

30ヨハネ伝福音書17:21(文語訳)「これ皆一つとならん爲なり。父よ、なんぢ我に在し、我なんぢに居るごとく、彼らも我らに居らん爲なり、是なんぢの我を遣し給ひしことを世の信ぜん爲なり。」ヨハネ伝福音書17:20–23(文語訳)「我かれらの爲のみならず、その言によりて我を信ずる者のためにも願ふ。 これ皆一つとならん爲なり。父よ、なんぢ我に在し、我なんぢに居るごとく、彼らも我らに居らん爲なり、是なんぢの我を遣し給ひしことを世の信ぜん爲なり。 我は汝の我に賜ひし榮光を彼らに與へたり、是われらの一つなる如く、彼らも一つとならん爲なり。 即ち我かれらに居り、汝われに在し、彼ら一つとなりて全くせられん爲なり、是なんぢの我を遣し給ひしことと、我を愛し給ふごとく彼らをも愛し給ふこととを、世の知らん爲なり。」エペソ人への書4:3–6(文語訳)「平和の繋のうちに勉めて御靈の賜ふ一致を守れ。 體は一つ、御靈は一つなり。汝らが召にかかはる一つ望をもて召されたるが如し。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、 凡ての者の父なる神は一つなり。神は凡てのものの上に在し、凡てのものを貫き、凡てのものの内に在したまふ。」エペソ人への書4:13(文語訳)「我等をしてみな信仰と神の子を知る知識とに一致せしめ、全き人、すなはちキリストの滿ち足れるほどに至らせ、」コリント人への前の書1:10(文語訳)「兄弟よ、我らの主イエス・キリストの名に頼りて汝らに勸む、おのおの語るところを同じうし、分爭する事なく、同じ心おなじ念にて全く一つになるべし。」ロマ人への書12:5(文語訳)「我らも多くあれど、キリストに在りて一つ體にして、各人たがひに肢たるなり。」コロサイ人への書3:14–15(文語訳)「凡て此等のものの上に愛を加へよ、愛は徳を全うする帶なり。 キリストの平和をして汝らの心を掌どらしめよ、汝らの召されて一體となりたるはこれが爲なり、汝ら感謝の心を懷け。」詩篇133:1(文語訳)「観よはらから相睦てともにをるはいかに善いかに樂きかな」『クレメンスの第一の手紙』46(ANF 1)「なぜ、あなたがたの間に争いと騒ぎと分裂と分派と戦いとがあるのか。」(ANF 1の英語から翻訳)イグナティオス、『エフェソ人への手紙』4–5「それゆえ、あなたがたが非難されることのない一致のうちに生きることは益である。そうすれば、あなたがたは常に神との交わりにあずかることができる。……ましてや、教会がイエス・キリストに、イエス・キリストが父に結ばれているように、彼に結ばれているあなたがたを、私はどれほど幸いな者と見なすことか。こうして、すべてのものが一致のうちに調和するのである。」(ANF 1の英語から翻訳);『フィラデルフィア人への手紙』3「もしだれかが、教会の中に分裂を起こす者に従うなら、その人は神の国を受け継がない。」(ANF 1の英語から翻訳)キプリアヌス、『教会の一致について』5–6「そしてこの一致を、私たちは固く保ち、主張しなければならない。特に教会を司る主教である私たちは、主教職そのものもまた一つであり、分かたれないことを証明するためである。……教会を母として持たない者は、もはや神を父として持つことはできない。」(英語から翻訳) ↩︎

31マタイ伝福音書24:21(文語訳)「そのとき大なる患難あらん、世の創より今に至るまでかかる患難はなく、また後にも無からん。」マタイ伝福音書24:22(文語訳)「その日もし少くせられずば、一人だに救はるる者なからん、されど選民の爲にその日少くせらるべし。」マタイ伝福音書24:29(文語訳)「これらの日の患難ののち直ちに日は暗く、月は光を發たず、星は空より隕ち、天の萬象ふるひ動かん。」マルコ伝福音書13:19–20(文語訳)「その日は患難の日なればなり。神の萬物を造り給ひし開闢より今に至るまで、かかる患難はなく、また後にもなからん。 主その日を少くし給はずば、救はるる者一人だになからん。されど其の選び給ひし選民の爲に、その日を少くし給へり。」ダニエル書12:1(文語訳)「その時汝の民の人々のために立ところの大なる君ミカエル起あがらん是艱難の時なり國ありてより以來その時にいたるまで斯る艱難ありし事なかるべしその時汝の民は救はれん即ち書にしるされたる者はみな救はれん」ダニエル書7:21–25(文語訳)「我觀つつありけるに此角聖徒と戰ひてこれに勝たりしが 終に日の老たる者來りて至高者の聖徒のために公義をおこなへり而してその時いたりて聖徒國を獲たり 彼かく言り第四の獣は地上の第四の國なり是は一切の國と異なり全世界を并呑しこれを踏つけかつ打破らん その十の角はこの國に興らんところの十人の王なり之が後にまた一人興るべし是は先の者と異なり且その王三人を倒すべし かれ至高者に敵して言を出しかつ至高者の聖徒を惱まさん彼また時と法とを變んことを望まん聖徒は一時と二時と半時を經るまで彼の手に付されてあらん」ヨハネの黙示録7:14(文語訳)「我いふ『わが主よ、なんぢ知れり』かれ言ふ『かれらは大なる患難より出できたり、羔羊の血に己が衣を洗ひて白くしたる者なり。」ヨハネの黙示録13:7(文語訳)「また聖徒に戰鬪を挑みて、之に勝つことを許され……」『ディダケー』16(ANF 7)「あなたがたの命のために目を覚ましていなさい……用意していなさい。あなたがたは、私たちの主が来られる時を知らないからである。」(ANF 7の英語から翻訳)『バルナバの手紙』4「最後のつまずきの石(すなわち危険の源)が近づいている。それについては、エノクが言うとおり、書き記されている……」(英語から翻訳);エルサレムのキュリロス、『教理講話』15「それでは、その時に敬虔にキリストを証しする者は、だれが幸いな者であろうか。……殉教者たちはこれまで人間とだけ格闘してきたが、反キリストの時には、サタンその者と戦うことになるからである。」(英語から翻訳) ↩︎

32注7を参照。 ↩︎

33ヨハネの第一の書2:18(文語訳)「子供よ、今は末の時なり、汝らが非キリスト來らんと聞きしごとく、今や非キリスト多く起れり……」ヨハネの第一の書2:22(文語訳)「僞者は誰なるか、イエスのキリストなるを否む者にあらずや。御父と御子とを否む者は非キリストなり。」ヨハネの第一の書4:3(文語訳)「凡そイエスを言ひ表さぬ靈は神より出でしにあらず、これは非キリストの靈なり。その來ることは汝ら聞けり、この靈いま既に世にあり。」ヨハネの第二の書7(文語訳)「人を惑すもの多く世にいで、イエス・キリストの肉體にて來り給ひしことを言ひ表さず、かかる者は人を惑す者にして、非キリストなり。」テサロニケ人への後の書2:3–10(文語訳)「誰が如何にすとも、それに欺かるな。その日の前に背教の事あり、不法の人すなはち滅亡の子あらはれざるを得ず、 彼はすべて神と稱ふる者および人の拜む者に逆ひ、此等よりも己を高くし、遂に神の聖所に坐し己を神として見する者なり。 われ汝らと偕に在りし時、これらの事を告げしを汝ら憶えぬか。 彼をして己が時に至りて顯れしめんために、彼を阻めをる者を汝らは知る。 不法の秘密は既に働けり、然れど此はただ阻めをる者の除かるるまでなり。 かくて其のとき不法の者あらはれん、而して主イエス御口の氣息をもて彼を殺し、降臨の輝耀をもて彼を亡し給はん。 彼はサタンの活動に從ひて來り、もろもろの虚僞なる力と徴と不思議と、 不義のもろもろの誑惑とを行ひて、亡ぶる者どもに向はん、彼らは眞理を愛する愛を受けずして、救はるることを爲ざればなり。」ヨハネの黙示録12:18–13:8(文語訳)「海邊の砂の上に立てり。 我また一つの獸の海より上るを見たり。之に十の角と七つの頭とあり、その角に十の冠冕あり、頭の上には神を涜す名あり。 わが見し獸は豹に似て、その足は熊のごとく、その口は獅子の口のごとし。龍はこれに己が能力と己が座位と大なる權威とを與へたり。 我その頭の一つ傷つけられて死ぬばかりなるを見しが、その死ぬべき傷いやされたれば、全地の者これを怪しみて獸に從へり。 また龍おのが權威を獸に與へしによりて、彼ら龍を拜し、且その獸を拜して言ふ『たれか此の獸に等しき者あらん、誰か之と戰ふことを得ん』 獸また大言と涜言とを語る口を與へられ、四十二个月のあひだ働く權威を與へらる。 彼は口をひらきて神を涜し、又その御名とその幕屋すなはち天に住む者どもとを涜し、 また聖徒に戰鬪を挑みて、之に勝つことを許され、且もろもろの族・民・國語・國を掌どる權威を與へらる。 凡て地に住む者にて、其の名を屠られ給ひし羔羊の生命の書に、世の創より記されざる者は、これを拜せん。」ヨハネの黙示録17:12–14(文語訳)「汝の見し十の角は十人の王にして未だ國を受けざれども、一時のあひだ獸と共に王のごとき權威を受くべし。 彼らは心を一つにして己が能力と權威とを獸にあたふ。 彼らは羔羊と戰はん。而して羔羊かれらに勝ち給ふべし、彼は主の主、王の王なればなり。これと偕なる召されたるもの、選ばれたるもの、忠實なる者も勝を得べし』」ダニエル書7:8(文語訳)「我その角を考へ觀つつありけるにその中にまた一箇の小き角出きたりしがこの小き角のために先の角三箇その根より抜おちたりこの小き角には人の目のごとき目ありまた大なる事を言ふ口あり」ダニエル書7:25(文語訳)「かれ至高者に敵して言を出しかつ至高者の聖徒を惱まさん彼また時と法とを變んことを望まん聖徒は一時と二時と半時を經るまで彼の手に付されてあらん」エイレナイオス、『異端反駁』5.25.1(ANF 1):反キリストは「背教者であり強盗であって、神として崇められることを切望している」(ANF 1の英語から翻訳);5.30.2–3「……まず第一に、王国が十に分割されるのを待つべきである。次に、これらの王たちが治め、その事を整え、その王国を広げ始めるとき、王国を自分のものと称して来て、私たちが語ってきた人々を恐れさせ、前述の数を含む名を持つ者が、まことに荒らす憎むべきものであることを認めることを[学ぶべきである]。……それゆえ、預言の成就を待つほうが、推測をめぐらし、現れてくるかもしれない名前を探し回るよりも、より確かであり、危険も少ない……」(ANF 1の英語から翻訳)ヒッポリュトス、『キリストと反キリストについて』「さて、神でもある私たちの主イエス・キリストが、その王権と栄光のゆえに獅子の姿のもとに預言されたように、同じように聖書もまた、あらかじめ反キリストを獅子として語っている。」(英語から翻訳)エルサレムのキュリロス、『教理講話』15.12(NPNF2 7)「ローマ人の十人の王が共に起こる……そしてこれらの後に十一番目の者、すなわち反キリストが起こる。」(NPNF2 7の英語から翻訳) ↩︎

34ガラテヤ人への書1:6–9(文語訳)「我は汝らが斯くも速かにキリストの恩惠をもて召し給ひし者より離れて、異なる福音に移りゆくを怪しむ。 此は福音と言ふべき者にあらず、ただ或人々が汝らを擾してキリストの福音を變へんとするなり。 されど我等にもせよ、天よりの御使にもせよ、我らの曾て宣傳へたる所に背きたる福音を汝らに宣傳ふる者あらば詛はるべし。 われら前に言ひし如く今また言はん、汝らの受けし所に背きたる福音を宣傳ふる者あらば詛はるべし。」(本文に引用)。コリント人への後の書11:4(文語訳)「もし人きたりて我らの未だ宣べざる他のイエスを宣ぶる時、また汝らが未だ受けざる他の靈を受け、未だ受け容れざる他の福音を受くるときは、汝ら能く之を忍ばん。」コリント人への前の書4:6(文語訳)「兄弟よ、われ汝等のために此等のことを我とアポロとの上に當てて言へり。これ汝らが『録されたる所を踰ゆまじき』を我らの事によりて學び、この人をあげ、かの人を貶して誇らざらん爲なり。」コリント人への前の書15:1–4(文語訳)「兄弟よ、曩にわが傳へし福音を更に復なんぢらに示す。汝らは之を受け、之に頼りて立ちたり。 なんぢら徒らに信ぜずして、我が傳へしままを堅く守らば、この福音に由りて救はれん。 わが第一に汝らに傳へしは、我が受けし所にして、キリスト聖書に應じて我らの罪のために死に、 また葬られ、聖書に應じて三日めに甦へり、」ユダの書3(文語訳)「愛する者よ、われ我らが共に與る救につき勵みて汝らに書き贈らんとせしが、聖徒の一たび傳へられたる信仰のために戰はんことを勸むる書を、汝らに贈るを必要と思へり。」申命記4:2(文語訳)「我が汝らに命ずる言は汝らこれを増しまたは減すべからず我が汝らに命ずる汝らの神ヱホバの命令を守るべし」申命記12:32(文語訳)「我が汝らに命ずるこの一切の言をなんぢら守りて行ふべし汝これを増なかれまた之を減すなかれ」箴言30:6(文語訳)「汝その言に加ふること勿れ 恐くは彼なんぢをせめ 又なんぢを謊る者となしたまはん」ヨハネの黙示録22:18–19(文語訳)「われ凡てこの書の預言の言を聞く者に證す。もし之に加ふる者あらば、神はこの書に記されたる苦難を彼に加へ給はん。 若しこの預言の書の言を省く者あらば、神はこの書に記されたる生命の樹、また聖なる都より彼の受くべき分を省き給はん。」エイレナイオス、『異端反駁』1.10.1–2「すでに述べたように、教会は、この宣教とこの信仰とを受けて、全世界に散らされていながらも、あたかも一つの家に住んでいるかのように、それを注意深く守っている。……世界の言語は異なっていても、伝承の意味は一つであり、同じだからである。」(英語から翻訳)3.1.1「私たちが救いの計画を学んだのは、福音を私たちにまで伝えた人々からであって、ほかのだれからでもない……」(英語から翻訳)テルトゥリアヌス、『異端者への抗弁』21(ANF 3)「使徒的諸教会——信仰の鋳型であり根源であるもの——と一致するすべての教理は、真理とみなされなければならない……」(ANF 3の英語から翻訳)ポリュカルポス、『フィリピ人への手紙』7「それゆえ、多くの人々の虚しさとその偽りの教えとを捨てて、初めから私たちに伝えられてきた言葉に立ち帰ろう……」(英語から翻訳)レランスのウィンケンティウス、『備忘録』8–9(NPNF2 11)、ガラテヤ人への書1:8について「……使徒は、その職の権威を行使して、最大の厳しさをもって判決を下した。彼は言う。『たとえ私たちであれ、天からの御使いであれ、私たちがあなたがたに宣べ伝えたのとは異なる福音をあなたがたに宣べ伝えるなら、その者は呪われよ。』……それゆえ、カトリックのキリスト者に、彼らが受けたもの以外の教理を宣べ伝えることは、かつて決して許されず、今も決して許されず、今後も決して許されない。そして、ひとたび受けたもの以外の何かを宣べ伝える者たちを呪うことは、常に義務であったし、今も常に義務であり、今後も常に義務である。」(NPNF2 11の英語から翻訳) ↩︎

35ロマ人への書1:1(文語訳)「キリスト・イエスの僕、召されて使徒となり、神の福音のために選び別たれたるパウロ――」ガラテヤ人への書1:10(文語訳)「我いま人に喜ばれんとするか、或は神に喜ばれんとするか、抑もまた人を喜ばせんことを求むるか。もし我なほ人を喜ばせをらば、キリストの僕にあらじ。」コリント人への後の書4:5(文語訳)「我らは己の事を宣べず、ただキリスト・イエスの主たる事と、我らがイエスのために汝らの僕たる事とを宣ぶ。」使徒行伝20:28(文語訳)「汝等みづから心せよ、又すべての群に心せよ、聖靈は汝等を群のなかに立てて監督となし、神の己の血をもて買ひ給ひし教會を牧せしめ給ふ。」 ↩︎

36コリント人への前の書1:12–13(文語訳)「……『我はパウロに屬す』『われはアポロに』『我はケパに』『我はキリストに』と言ふこれなり。 キリストは分たるる者ならんや、パウロは汝らの爲に十字架につけられしや、汝らパウロの名に頼りてバプテスマを受けしや。」コリント人への前の書3:3–7(文語訳)「今もなほ食ふこと能はず、今もなほ肉に屬する者なればなり。汝らの中に嫉妬と紛爭とあるは、これ肉に屬する者にして世の人の如くに歩むならずや。 或者は『われパウロに屬す』といひ、或者は『われアポロに屬す』と言ふ、これ世の人の如くなるにあらずや。 アポロは何者ぞ、パウロは何者ぞ、彼等はおのおの主の賜ふところに隨ひ、汝らをして信ぜしめたる役者に過ぎざるなり。 我は植ゑ、アポロは水灌げり、されど育てたるは神なり。 されば種うる者も、水灌ぐ者も數ふるに足らず、ただ尊きは育てたまふ神なり。」ヨハネ伝福音書10:16(文語訳)「我には亦この檻のものならぬ他の羊あり、之をも導かざるを得ず、彼らは我が聲をきかん、遂に一つの群ひとりの牧者となるべし。」エペソ人への書2:14–19(文語訳)「彼は我らの平和にして、己が肉により、樣々の誡命の規より成る律法を廢して、二つのものを一つとなし、怨なる隔の中籬を毀ち給へり。これは二つのものを己に於て一つの新しき人に造りて平和をなし、 十字架によりて怨を滅し、また之によりて二つのものを一つの體となして神と和がしめん爲なり。 かつ來りて、遠かりし汝等にも平和を宣べ、近きものにも平和を宣べ給へり。 そはキリストによりて我ら二つのもの一つ御靈にありて父に近づくことを得たればなり。 されば汝等はもはや旅人また寄寓人にあらず、聖徒と同じ國人また神の家族なり。」エペソ人への書4:4–6(文語訳)「體は一つ、御靈は一つなり。汝らが召にかかはる一つ望をもて召されたるが如し。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、 凡ての者の父なる神は一つなり。神は凡てのものの上に在し、凡てのものを貫き、凡てのものの内に在したまふ。」ガラテヤ人への書3:28(文語訳)「今はユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自主もなく、男も女もなし、汝らは皆キリスト・イエスに在りて一體なり。」コロサイ人への書3:11(文語訳)「かくてギリシヤ人とユダヤ人、割禮と無割禮、あるひは夷狄、スクテヤ人・奴隷・自主の別ある事なし、それキリストは萬の物なり、萬のものの中にあり。」『クレメンスの第一の手紙』47(ANF 1)「彼は、自分自身とケパとアポロについて、あなたがたに書き送った。そのときすでに、あなたがたの間に党派が形づくられていたからである。」(ANF 1の英語から翻訳)イグナティオス、『フィラデルフィア人への手紙』3「神のもの、またイエス・キリストのものである者はみな、主教と共にいるからである。」(ANF 1の英語から翻訳)テルトゥリアヌス、『異端者への抗弁』20(ANF 3)「諸教会は、あれほど多く、あれほど大きくあっても、使徒たちによって(創立された)ただ一つの原始の教会から成っており、そこからすべてが(生じた)のである。」(ANF 3の英語から翻訳) ↩︎

37コリント人への前の書14:40(文語訳)「凡ての事、宣しきに適ひ、かつ秩序を守りて行へ。」コリント人への前の書14:33(文語訳)「それ神は亂の神にあらず、平和の神なり。」コリント人への前の書12:28(文語訳)「神は第一に使徒、第二に預言者、第三に教師、その次に異能ある業、次に病を醫す賜物、補助をなす者、治むる者、異言などを教會に置きたまへり。」使徒行伝6:1–6(文語訳)「そのころ弟子のかず増加はり、ギリシヤ語のユダヤ人、その寡婦らが日々の施濟に漏されたれば、ヘブル語のユダヤ人に對して呟く事あり。 ここに十二使徒すべての弟子を呼び集めて言ふ『われら神の言を差措きて、食卓に事ふるは宣しからず。 然れば兄弟よ、汝らの中より御靈と智慧とにて滿ちたる令聞ある者七人を見出せ、それに此の事を掌どらせん。 我らは專ら祈をなすことと、御言に事ふることとを務めん』 集れる凡ての者この言を善しとし、信仰と聖靈とにて滿ちたるステパノ及びピリポ、プロコロ、ニカノル、テモン、パルメナ、またアンテオケの改宗者ニコラオを選びて、 使徒たちの前に立てたれば、使徒たち祈りて手をその上に按けり。」テトスへの書1:5(文語訳)「わが汝をクレテに遣し置きたる故は、汝をして缺けたる所を正し、且わが命ぜしごとく町々に長老を立てしめん爲なり。」『クレメンスの第一の手紙』40(ANF 1)「軽率にでも不規則にでもなく、定められた時と時刻に。」(ANF 1の英語から翻訳) ↩︎

38注26を参照。 ↩︎

39テモテへの前の書2:4(文語訳)「神は凡ての人の救はれて、眞理を悟るに至らんことを欲し給ふ。」ヨハネ伝福音書8:32(文語訳)「また眞理を知らん、而して眞理は汝らに自由を得さすべし』」ヨハネ伝福音書8:36(文語訳)「この故に子もし汝らに自由を得させば、汝ら實に自由とならん。」ヨハネ伝福音書14:6(文語訳)「イエス彼に言ひ給ふ『われは道なり、眞理なり、生命なり、我に由らでは誰にても父の御許にいたる者なし。」ヨハネ伝福音書17:17(文語訳)「眞理にて彼らを潔め別ちたまへ、汝の御言は眞理なり。」テモテへの後の書2:25(文語訳)「逆ふ者をば柔和をもて戒むべし、神あるひは彼らに悔改むる心を賜ひて眞理を悟らせ給はん。」ヘブル人への書10:26(文語訳)「我等もし眞理を知る知識をうけたる後、ことさらに罪を犯して止めずば、罪のために犧牲、もはや無し。」 ↩︎

本ページの日本語の聖句は、すべて文語訳聖書(旧約:明治元訳、1887年/新約:大正改訳、1917年、日本聖書協会)から引用しています。いずれもパブリックドメインです。本文:ウィキソース。聖句は抜粋して引用しており、省略箇所は「……」で示しています。