「法は王の武器である」
主教*Garland F. Byers, Jr., J.D., D.D.‡
諸国民への主教、使徒的委任のもとに
サタンはこの世の王であり神であると書かれている。1サタンは、もしイエスがひれ伏して自分を拝むなら地上の国々に対する支配権を与えると言って、イエスを試みた。2私たちの主は、もちろんその義によってこれを拒まれたが、それでもなお、約束したものをまさにそのとおりに与える力がサタンにあることには異を唱えられなかった。3したがってサタンは、神が許し認められる範囲においてのみ霊的な力と権威を持つだけでなく、4物理的な世界においても力を持ち、また腐敗した思い、邪悪な心、権力への欲望をもって彼に従う者たちを通して権威を持っている。5これら地獄の人間の手先たちは、法を教会と信者たちに対する武器として用い、善のために意図されたものを悪の道具に変えている。6このプロジェクトは、こうしたことが過去に起こった事例、現在起こっている事例、あるいはごく近い将来に起ころうとしている事例を明らかにする。法を通して、悪魔は小銃から一発の弾丸も放つことなく人類の奴隷化を確保することができる。7実に、終わりの時における世界の奴隷化は預言されている。8そのような場合、物理的な世界において戦争は必要ない。戦いはすでに霊の領域において起こっており、ペンで法律に署名することによって物理的な領域(地上)に現れているにすぎないからである。9ひとたび世俗の法が制定されると、その法がキリストの礼拝を禁じるものであれ、キリストの名による人々の集会を禁じるものであれ、あるいは暴政から自らを守る神から与えられた権利によって人々が自由であり続けるための手段を禁じるものであれ、10奇跡なしにその法を変えることは非常に難しい。11だからこそ、祈り、教会への出席、そして神への奉仕がきわめて重要なのである。12
注
1「この世の神は此等の不信者の心を暗まして、神の像なるキリストの榮光の福音の光を照さざらしめたり。」コリント人への後の書4:4(文語訳)。「今この世の審判は來れり、今この世の君は逐ひ出さるべし。」ヨハネ伝福音書12:31(文語訳)。「今より後われ汝らと多く語らじ、この世の君きたる故なり。彼は我に對して何の權もなし……」ヨハネ伝福音書14:30(文語訳)。「審判に就きてとは、此の世の君さばかるるに因りてなり。」ヨハネ伝福音書16:11(文語訳)。「この世の習慣に從ひ、空中の權を執る宰、すなはち不從順の子らの中に今なほ働く靈の宰にしたがひて歩めり……」エペソ人への書2:2(文語訳)。「我らは神より出で、全世界は惡しき者に屬するを我らは知る。」ヨハネの第一の書5:19(文語訳)。「この蝗に王あり。底なき所の使にして、名をヘブル語にてアバドンと云ひ、ギリシヤ語にてアポルオンと云ふ。」ヨハネの黙示録9:11(文語訳)。 ↩︎
2「惡魔またイエスを最高き山につれゆき、世のもろもろの國と、その榮華とを示して言ふ、 『汝もし平伏して我を拜せば、此等を皆なんぢに與へん』 ここにイエス言ひ給ふ『サタンよ、退け「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事へ奉るべし」と録されたるなり』」マタイ伝福音書4:8–10(文語訳)。「惡魔またイエスを携へのぼりて、瞬間に天下のもろもろの國を示して言ふ、 『この凡ての權威と國々の榮華とを汝に與へん。我これを委ねられたれば、我が欲する者に與ふるなり。 この故にもし我が前に拜せば、ことごとく汝の有となるべし』 イエス答へて言ひたまふ『「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事ふべし」と録されたり』」ルカ伝福音書4:5–8(文語訳)。 ↩︎
3「この凡ての權威と國々の榮華とを汝に與へん。我これを委ねられたれば、我が欲する者に與ふるなり。」ルカ伝福音書4:6(文語訳)。「……サタンよ、退け「主なる汝の神を拜し、ただ之にのみ事へ奉るべし」と録されたるなり」マタイ伝福音書4:10(文語訳)。「今この世の審判は來れり、今この世の君は逐ひ出さるべし。」ヨハネ伝福音書12:31(文語訳)。「今より後われ汝らと多く語らじ、この世の君きたる故なり。彼は我に對して何の權もなし……」ヨハネ伝福音書14:30(文語訳)。「我らは神より出で、全世界は惡しき者に屬するを我らは知る。」ヨハネの第一の書5:19(文語訳)。 ↩︎
4「ヱホバ、サタンに言たまひけるは視よ彼の一切の所有物を汝の手に任す 唯かれの身に汝の手をつくる勿れ サタンすなはちヱホバの前よりいでゆけり」ヨブ記1:12(文語訳)。「ヱホバ、サタンに言たまひけるは彼を汝の手に任す 只かれの生命を害ふ勿れと」ヨブ記2:6(文語訳)。「……シモン、シモン、視よ、サタン汝らを麥のごとく篩はんとて請ひ得たり。 されど我なんぢの爲に、その信仰の失せぬやうに祈りたり、なんぢ立ち歸りてのち兄弟たちを堅うせよ」ルカ伝福音書22:31–32(文語訳)。「汝らが遭ひし試煉は人の常ならぬはなし。神は眞實なれば、汝らを耐へ忍ぶこと能はぬほどの試煉に遭はせ給はず。汝らが試煉を耐へ忍ぶことを得んために之と共に遁るべき道を備へ給はん。」コリント人への前の書10:13(文語訳)。「彼は龍、すなわち惡魔たりサタンたる古き蛇を捕へて、之を千年のあひだ繋ぎおき、 底なき所に投げ入れ閉ぢ込めて、その上に封印し、千年の終るまでは諸國の民を惑すことなからしむ。その後、暫時のあひだ解放さるべし。」ヨハネの黙示録20:2–3(文語訳)。 ↩︎
5「汝らは己が父惡魔より出でて、己が父の慾を行はんことを望む。彼は最初より人殺なり、また眞その中になき故に眞に立たず、彼は虚僞をかたる毎に己より語る、それは虚僞者にして虚僞の父なればなり。」ヨハネ伝福音書8:44(文語訳)。「彼ら一度は惡魔に囚はれたれど、醒めてその羂をのがれ、神の御心を行ふに至らん。」テモテへの後の書2:26(文語訳)。「彼の者らはヤンネとヤンブレとがモーセに逆ひし如く、眞理に逆ふもの、心の腐れたる者、また信仰につきて棄てられたる者なり。」テモテへの後の書3:8(文語訳)。「また心腐りて眞理をはなれ、敬虔を利益の道とおもふ者の爭論おこるなり。」テモテへの前の書6:5(文語訳)。「汝等のうちの戰爭は何處よりか、分爭は何處よりか、汝らの肢體のうちに戰ふ慾より來るにあらずや。 汝ら貪れども得ず、殺すことをなし、妬むことを爲れども得ること能はず、汝らは爭ひまた戰す。汝らの得ざるは求めざるに因りてなり。」ヤコブの書4:1–2(文語訳)。「わが見し獸は豹に似て、その足は熊のごとく、その口は獅子の口のごとし。龍はこれに己が能力と己が座位と大なる權威とを與へたり。」ヨハネの黙示録13:2(文語訳)。 ↩︎
6「律法は道理に循ひて之を用ひば善き者なるを我らは知る……」テモテへの前の書1:8(文語訳)。「それ律法は聖なり、誡命もまた聖にして正しく、かつ善なり。」ロマ人への書7:12(文語訳)。「かれは汝を益せんための神の役者なり。然れど惡をなさば懼れよ、彼は徒らに劍をおびず、神の役者にして、惡をなす者に怒をもて報ゆるなり。」ロマ人への書13:4(文語訳)。「禍ひなるかな かれらは惡をよびて善とし善をよびて惡とし 暗をもて光とし光をもて暗とし 苦をもて甘とし甘をもて苦とする者なり」イザヤ書5:20(文語訳)。「不義のおきてをさだめ暴虐のことばを録すものは禍ひなるかな かれらは乏きものの訴をうけず わが民のなかの貧しきものの權利をはぎ寡婦の資產をうばひ孤兒のものを掠む」イザヤ書10:1–2(文語訳)。「律法をもて害ふことをはかる惡の位はなんぢに親むことを得んや」詩篇94:20(文語訳)。初代教会「……法を制定することによって、諸国民の間にはびこる甚だしい悪を抑えることができるためである。」リヨンのエイレナイオス『異端反駁』5.24.2、Alexander Roberts・William Rambaut訳、Alexander Roberts・James Donaldson編『The Ante-Nicene Fathers』第1巻(Buffalo, NY: Christian Literature Publishing, 1885年)所収(ANF 1の英語から翻訳)。 ↩︎
7サムエル前書8:11–18(この箇所の文語訳の本文は入手できなかったため、ここには引用しない)。「茲にヨセフの事をしらざる新しき王エジプトに起りしが 彼その民にいひけるは視よ此民イスラエルの子孫われらよりも多く且強し 來れわれら機巧く彼等に事をなさん恐くは彼等多くならん又戰爭の起ることある時は彼等敵にくみして我等と戰ひ遂に國よりいでさらんと すなはち督者をかれらの上に立て彼らに重荷をおはせて之を苦む彼等パロのために府庫の邑ピトムとラメセスを建たり 然るにイスラエルの子孫は苦むるに隨ひて增し殖たれば皆これを懼れたり エジプト人イスラエルの子孫を嚴く動作かしめ 辛き力役をもて彼等をして苦みて生を度らしむ即ち和泥作甎および田圃の諸の工にはたらかしめけるが其働かしめし工作は皆嚴しかりき」出エジプト記1:8–14(文語訳)。 ↩︎
8「また凡ての人をして、大小・貧富・自主・奴隷の別なく、或はその右の手、あるいは其の額に徽章を受けしむ。 この徽章を有たぬ凡ての者に賣買することを得ざらしめたり。その徽章は獸の名、もしくは其の名の數字なり。」ヨハネの黙示録13:16–17(文語訳)。「また聖徒に戰鬪を挑みて、之に勝つことを許され、且もろもろの族・民・國語・國を掌どる權威を與へらる。 凡て地に住む者にて、其の名を屠られ給ひし羔羊の生命の書に、世の創より記されざる者は、これを拜せん。」ヨハネの黙示録13:7–8(文語訳)。「彼かく言り第四の獣は地上の第四の國なり是は一切の國と異なり全世界を并呑しこれを踏つけかつ打破らん その十の角はこの國に興らんところの十人の王なり之が後にまた一人興るべし是は先の者と異なり且その王三人を倒すべし かれ至高者に敵して言を出しかつ至高者の聖徒を惱まさん彼また時と法とを變んことを望まん聖徒は一時と二時と半時を經るまで彼の手に付されてあらん」ダニエル書7:23–25(文語訳)。「汝の見し十の角は十人の王にして未だ國を受けざれども、一時のあひだ獸と共に王のごとき權威を受くべし。 彼らは心を一つにして己が能力と權威とを獸にあたふ。」ヨハネの黙示録17:12–13(文語訳)。「神は彼らに御旨を行ふことと、心を一つにすることと、神の御言の成就するまで國を獸に與ふることとを思はしめ給ひたればなり。」ヨハネの黙示録17:17(文語訳)。「誰が如何にすとも、それに欺かるな。その日の前に背教の事あり、不法の人すなはち滅亡の子あらはれざるを得ず、 彼はすべて神と稱ふる者および人の拜む者に逆ひ、此等よりも己を高くし、遂に神の聖所に坐し己を神として見する者なり。」テサロニケ人への後の書2:3–4(文語訳)。「……その時に起こり、今[地を]支配している帝国がその間に分割される十人の王について……」リヨンのエイレナイオス『異端反駁』5.26.1、Alexander Roberts・William Rambaut訳、Alexander Roberts・James Donaldson編『The Ante-Nicene Fathers』第1巻(Buffalo, NY: Christian Literature Publishing, 1885年)所収(ANF 1の英語から翻訳)。「……足の指によって、彼は彼らの中から起こるべき王たちを意味した……」「……像の十本の足指は(同じ数の)民主政体に相当し……」「……第四の獣の十の角は十の王国に配分されている……」ローマのヒッポリュトス『キリストと反キリストについて』25章、27章、J. H. MacMahon訳、Alexander Roberts・James Donaldson編『The Ante-Nicene Fathers』第5巻(Buffalo, NY: Christian Literature Publishing, 1886年)所収(ANF 5の英語から翻訳)。 ↩︎
9「我らは血肉と戰ふにあらず、政治・權威、この世の暗黒を掌どるもの、天の處にある惡の靈と戰ふなり。」エペソ人への書6:12(文語訳)。「かくて天に戰爭おこれり、ミカエル及びその使たち龍とたたかふ。龍もその使たちも之と戰ひしが、 勝つこと能はず、天には、はや其の居る所なかりき。 かの大なる龍、すなわち惡魔と呼ばれ、サタンと呼ばれたる全世界をまどはす古き蛇は落され、地に落され、その使たちも共に落されたり。」ヨハネの黙示録12:7–9(文語訳)。「然るにペルシヤの國の君二十一日の間わが前に立塞がりけるが長たる君の一なるミカエル來りて我を助けたれば我勝留りてペルシヤの王等の傍にをる」ダニエル書10:13(文語訳)。法律への署名によって「ここにおいて正月の十三日に王の書記官を召あつめ王に屬する州牧各州の方伯およびもろもろの民の牧伯にハマンが命ぜんとする所をことごとく書しるさしむ 即ちもろもろの州におくるものは其文字をもちひ もろもろの民におくるものはその言語をもちひ おのおのアハシユエロス王の名をもてこれを書き王の指環をもてこれに印したり」エステル書3:12(文語訳)。「王すなはち詔書をしたためてその禁令を出せり」ダニエル書6:9(文語訳)。 ↩︎
10キリストの礼拝とその名による集会を禁じること「國の監督将軍州牧牧伯方伯等みな相議りて王に一の律法を立て一の禁令を定めたまはんことを求めんとす王よその事は是の如し即ち今より三十日の内は唯汝にのみ願事をなさしめ若汝をおきて神または人にこれをなす者あらば凡て獅子の穴に投いれんといふ是なり」ダニエル書6:7(文語訳)。「乃ち彼らを呼び、一切イエスの名によりて語り、また教へざらんことを命じたり。」使徒行伝4:18(文語訳)。「我等かの名によりて教ふることを堅く禁ぜしに、視よ、汝らは其の教をエルサレムに滿し、かの人の血を我らに負はせんとす」使徒行伝5:28(文語訳)。人々が自由であり続けるための手段サムエル前書13:19–22(この箇所の文語訳の本文は入手できなかったため、ここには引用しない)。「……されど今は財布ある者は之を取れ、嚢ある者も然すべし。また劍なき者は衣を賣りて劍を買へ。」ルカ伝福音書22:36(文語訳)。「もし盜賊の壞り入るを見てこれを撃ちて死しむる時はこれがために血をながすに及ばず」出エジプト記22:2(文語訳)。「我觀めぐり起て貴き人々および牧伯等ならびにその餘の民に告て云ふ汝ら彼等のために懼るる勿れ主の大にして畏るべきを憶ひ汝らの兄弟のため男子女子のため妻および家のために戰かへよと」ネヘミヤ記4:14(文語訳)。「石垣を築く者および荷を負ひはこぶ者は各々片手もて工事を爲し片手に武器を執り 築建者はおのおのその腰に劍を帶て築き建つ又喇叭を吹く者は我傍にあり」ネヘミヤ記4:17–18(文語訳)。「戦することをわが手にをしへ 闘ふことをわが指にをしへたまふ わが磐ヱホバはほむべきかな……」詩篇144:1(文語訳)。初代教会「できるのに友から害を防がない者は、害を加える者と同じく責めを負う。」ミラノのアンブロシウス『聖職者の務めについて』1.36.179、H. de Romestin訳、Philip Schaff・Henry Wace編『Nicene and Post-Nicene Fathers』第2集第10巻(New York: Christian Literature Publishing, 1896年)所収(NPNF2 10の英語から翻訳)。「勇気は、戦いにおいては祖国を蛮族から守り、家にあっては弱い者を、あるいは仲間を盗賊から守るものであって、正義に満ちている……」ミラノのアンブロシウス『聖職者の務めについて』1.27.129、H. de Romestin訳、Philip Schaff・Henry Wace編『Nicene and Post-Nicene Fathers』第2集第10巻(New York: Christian Literature Publishing, 1896年)所収(NPNF2 10の英語から翻訳)。 ↩︎
11改めることのできないメディアとペルシアの法「然ば王よねがはくはその禁令を立てその詔書を認めメデアとペルシヤの廢ることなき律法のごとくに之をして變らざらしめたまへと」ダニエル書6:8(文語訳)。「その人々また王の許に集ひきたりて王に言けるは王よ知りたまヘメデアとペルシヤの律法によれば王の立たる禁令または法度は變べからざる者なりと」ダニエル書6:15(文語訳)。「なんぢらも亦おのれの好むごとく王の名をもて書をつくり王の指環をもてこれに印してユダヤ人につたへよ王の名をもて書き王の指環をもて印したる書は誰もとりけすこと能はざればなり」エステル書8:8(文語訳)。神にはすべてのことが可能である「吾神その使をおくりて獅子の口を閉させたまひたれば獅子は我を害せざりき其は我の辜なき事かれの前に明かなればなり王よ我は汝にも惡しき事をなさざりしなりと」ダニエル書6:22(文語訳)。「その中に云ふ王すべての邑にあるユダヤ人に許す彼らあひ集まり立ておのれの生命を保護しおのれを襲ふ諸國諸州の一切の兵民をその妻子もろともにほろぼし殺し絶し且その所有物を奪ふべし……」エステル書8:11(文語訳)。「視よ、主の使ペテロの傍らに立ちて、光明室内にかがやく。御使かれの脇をたたき、覺していふ『疾く起きよ』かくて鏈その手より落ちたり。 御使いふ『帶をしめ、鞋をはけ』彼その如く爲たれば、又いふ『上衣をまとひて我に從へ』 ペテロ出でて隨ひしが、御使のする事の眞なるを知らず、幻影を見るならんと思ふ。 かくて第一・第二の警固を過ぎて町に入るところの鐵の門に到れば、門おのづから彼等のために開け、相共にいでて一つの街を過ぎしとき、直ちに御使はなれたり。」使徒行伝12:7–10(文語訳)。「それ神の言には能はぬ所なし」ルカ伝福音書1:37(文語訳)。「……これは人に能はねど、神は凡ての事をなし得るなり」マタイ伝福音書19:26(文語訳)。 ↩︎
12祈り「我名をもて稱らるる我民もし自ら卑くし祈りてわが面を求めその惡き道を離れなば我天より聽てその罪を赦しその地を醫さん」歴代志略下7:14(文語訳)。「絶えず祈れ……」テサロニケ人への前の書5:17(文語訳)。「この故に互に罪を言ひ表し、かつ癒されんために相互に祈れ、正しき人の祈ははたらきて大なる力あり。」ヤコブの書5:16(文語訳)。「また彼らに、落膽せずして常に祈るべきことを、譬にて語り言ひ給ふ……」ルカ伝福音書18:1(文語訳)。「誘惑に陷らぬやう、目を覺しかつ祈れ。實に心は熱すれども肉體よわきなり」マタイ伝福音書26:41(文語訳)。共に集まること「互に相顧み、愛と善き業とを勵まし、 集會をやむる或人の習慣の如くせず、互に勸め合ひ、かの日のいよいよ近づくを見て、ますます斯くの如くすべし。」ヘブル人への書10:24–25(文語訳)。「彼らは使徒たちの教を受け、交際をなし、パンを擘き、祈祷をなすことを只管つとむ。」使徒行伝2:42(文語訳)。「日々、心を一つにして弛みなく宮に居り、家にてパンをさき、勸喜と眞心とをもて食事をなし、 神を讃美して一般の民に悦ばる。かくて主は救はるる者を日々かれらの中に加へ給へり。」使徒行伝2:46–47(文語訳)。「二三人わが名によりて集る所には、我もその中に在るなり。」マタイ伝福音書18:20(文語訳)。神への奉仕「汝ら若ヱホバに事ふることを惡とせぱ汝らの先祖が河の彼邊にて事へし神々にもあれ又は汝らが今をる地のアモリ人の神々にもあれ汝らの事ふべき者を今日選べ但し我と我家とは共にヱホバに事へん」ヨシュア記24:15(文語訳)。「されば兄弟よ、われ神のもろもろの慈悲によりて汝らに勸む、己が身を神の悦びたまふ潔き活ける供物として献げよ、これ靈の祭なり。」ロマ人への書12:1(文語訳)。「汝ら何事をなすにも人に事ふる如くせず、主に事ふる如く心より行へ。 汝らは主より報として嗣業を受くることを知ればなり。汝らは主キリストに事ふる者なり。」コロサイ人への書3:23–24(文語訳)。一つとなって共に立つこと「汝等ただキリストの福音に相應しく日を過せ、さらば我が往きて汝らを見るも、離れゐて汝らの事をきくも、汝らが靈を一つにして堅く立ち、心を一つにして福音の信仰のために共に戰ひ……」ピリピ人への書1:27(文語訳)。「観よはらから相睦てともにをるはいかに善いかに樂きかな」詩篇133:1(文語訳)。「平和の繋のうちに勉めて御靈の賜ふ一致を守れ。 體は一つ、御靈は一つなり。汝らが召にかかはる一つ望をもて召されたるが如し。 主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ、 凡ての者の父なる神は一つなり。神は凡てのものの上に在し、凡てのものを貫き、凡てのものの内に在したまふ。」エペソ人への書4:3–6(文語訳)。「我かれらの爲のみならず、その言によりて我を信ずる者のためにも願ふ。 これ皆一つとならん爲なり。父よ、なんぢ我に在し、我なんぢに居るごとく、彼らも我らに居らん爲なり、是なんぢの我を遣し給ひしことを世の信ぜん爲なり。」ヨハネ伝福音書17:20–21(文語訳)。天の市民、この世の寄留者「されど我らの國籍は天に在り、我らは主イエス・キリストの救主として其の處より來りたまふを待つ……」ピリピ人への書3:20(文語訳)。「彼等はみな信仰を懷きて死にたり、未だ約束の物を受けざりしが、遙にこれを見て迎へ、地にては旅人また寓れる者なるを言ひあらはせり。」ヘブル人への書11:13(文語訳)。「愛する者よ、われ汝らに勸む。汝らは旅人また宿れる者なれば、靈魂に逆ひて戰ふ肉の慾を避け……」ペテロの前の書2:11(文語訳)。「されば汝等はもはや旅人また寄寓人にあらず、聖徒と同じ國人また神の家族なり……」エペソ人への書2:19(文語訳)。「我は御言を彼らに與へたり、而して世は彼らを憎めり、我の世のものならぬごとく、彼らも世のものならぬに因りてなり。 わが願ふは、彼らを世より取り給はんことならず、惡より免れさらせ給はんことなり。 我の世のものならぬ如く、彼らも世のものならず。」ヨハネ伝福音書17:14–16(文語訳)。信仰の善い戦い「信仰の善き戰闘をたたかへ、永遠の生命をとらへよ。汝これが爲に召を蒙り、また多くの證人の前にて善き言明をなせり。」テモテへの前の書6:12(文語訳)。「われ善き戰鬪をたたかひ、走るべき道程を果し、信仰を守れり……」テモテへの後の書4:7(文語訳)。「愛する者よ、われ我らが共に與る救につき勵みて汝らに書き贈らんとせしが、聖徒の一たび傳へられたる信仰のために戰はんことを勸むる書を、汝らに贈るを必要と思へり。」ユダの書3(文語訳)。初代教会「彼らは自分の国に住んでいるが、ただ寄留者としてである。市民としてすべてのことをほかの人々と分かち合いながら、外国人のようにすべてを耐え忍ぶ。どの異国も彼らにとっては祖国のようであり、どの祖国も異国のようである。彼らは[ほかの]すべての人と同じように結婚し、子をもうける。しかし自分の子を滅ぼすことはしない。彼らは食卓を共にするが、寝床を共にはしない。彼らは肉のうちにあるが、肉に従って生きはしない。彼らは地上で日々を過ごしているが、天の市民である。」『ディオグネトスへの手紙』5章、Alexander Roberts・James Donaldson編『The Ante-Nicene Fathers』第1巻(Buffalo, NY: Christian Literature Publishing, 1885年)所収(ANF 1の英語から翻訳)。「それゆえ、しばしば集まって神に感謝し、その賛美を言い表すよう心がけよ。あなたがたがしばしば同じ場所に集まるとき、サタンの諸力は打ち砕かれるからである……」アンティオキアのイグナティオス『エフェソ人への手紙』13章、Alexander Roberts・James Donaldson編『The Ante-Nicene Fathers』第1巻(Buffalo, NY: Christian Literature Publishing, 1885年)所収(ANF 1の英語から翻訳)。 ↩︎
本ページの日本語の聖句は、すべて文語訳聖書(旧約:明治元訳、1887年/新約:大正改訳、1917年、日本聖書協会)から引用しています。いずれもパブリックドメインです。本文:ウィキソース。聖句は抜粋して引用しており、省略箇所は「……」で示しています。